玉音放送と前後のラジオ放送 [ ] 8月15日午前中に配布された玉音放送予告の特報() 正午以降の玉音盤を再生した玉音放送は約5分であったが、その前後の終戦関連ニュース放送などを含む放送は約37分半であった。 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p. 朕は帝国政府をして米英支蘇(べいえいしそ)四国(しこく)に対し、その共同宣言を受諾する旨(むね)通告せしめたり。
2これにより「雑音が多く、何を言っているかわからない」という結果になったと思われる。
且戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。
そのため、天皇の声を録音したレコードの原盤(いわゆる「玉音盤」)は 2種類存在します。
それどころか、、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。 また、本稿で参照した文献をにまとめた。
2このクーデターが未遂に終わったため昭和天皇の玉音放送は当初の予定通り翌15日正午に行われました。
天皇の声=玉音を放送したことから、この放送は「玉音放送」と呼ばれている。
このとき陸軍将校の一部が降伏に反対して録音盤奪取、放送中止を謀って宮内省と放送会館を襲撃する事件があったが、放送は無事行われ、ここに太平洋戦争は終結した。
したがって、さきに米英二国に戦いを宣した理由もまた実に、わが国の自尊とアジアの安定を心から願ったためであって、いやしくも他国の主権を押しのけたり、その領土を侵略するようなことはもちろん、わたくしの志とは全く異なる。
Having been able to safeguard and maintain the structure of the Imperial State, We are always with ye, Our good and loyal subjects, relying upon your sincerity and integrity. のちにレコード盤消滅まで全盛となったビニール盤、バイナルではない。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 14-15 CONTENTS 解説編 加筆訂正 トランスレス5球スーパー 1940-42 加筆訂正 白山無線電機 株 1944 :当時の一般的な家庭用ラジオ 資料編 The Imperial Edict of the End of the War NEW 追記 1945(昭和20)年8月10日午前6時45分、日本政府はポツダム宣言の受諾を外交公電として連合国に向けて通告した。
1 徳川義寛終戦日記 朝日新聞社 1999年 2 増補 八月十五日の神話 佐藤卓巳 ちくま学芸文庫 2014年 3 放送夜話 日本放送協会編 日本放送出版協会 1968年 4 官報 号外 1945年8月14日 5 Nippon Times 1945年8月15日 6 玉音放送 竹山昭子 晩聲社 1989年 7 真空管の伝説 木村哲人 筑摩書房 2001年 8 「昭和史の天皇」4 玉音放送まで 読売新聞社編 2012年 中公文庫 9 玉音盤の保存処理 松井 茂 放送博物館だより No. Moreover, the enemy has begun to employ a new and most cruel bomb, the power of which to do damage is indeed incalculable, taking the toll of many innocent lives. 本資料は著作権法第13条の規定により著作権保護の対象となっていない。
また、当日の朝刊は放送終了後の午後に配達される特別措置がとられた。
森師団長と白石中佐の殺害の詳しい経緯については、窪田少佐が東部で聴取を受けた際の聴取記録が残っており、概ね明らかである。
国歌君が代奏楽• この玉音放送は法制上の効力を特に持つものではないが、天皇が敗戦の事実を直接国民に伝え、これを諭旨するという意味では強い影響力を持っていたと言える。
もし感情の激するままに、みだりに問題を起こしたり、同胞がおたがいに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道をあやまって、世界から信義を失うようなことがあってはならない。 15日正午の放送内容 [ ] 特記なき文は和田信賢によるアナウンス。
原稿はNHK放送博物館に保存されているが、番組全体の録音は、占領軍に対する配慮から翌16日には破棄されたという。
私は政府に対し、「アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を伝えよ」と指示した。
詔書の引用、略 なんという悲痛な声であろう。
この「重大な放送」は、14日9時のニュースで最初の告知が行われ、その後も当日朝から繰り返し告知放送が行われた。 国を挙げて一つの家族のように、子孫ともどもかたく神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操(守って変えない志)をかたく持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように期すべきだ。 「新聞の功罪」 1925年3月、社団法人東京放送局より放送 社団法人東京放送局編『ラヂオ講演集 第一輯』日本ラジオ協会、1925年11月、23~30頁 参考文献 [ ]• そのようなことになれば、私はどうして億兆の国民と子孫を守ればよいか、歴代天皇の霊に謝罪できようか。
12もし、事態にさからって激情のおもむくまま争いごとを起こし、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに時局を混乱させ道を誤り、世界の信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。
また、放送を即時に広く伝達するため10に規制されていたを60kW に増力し、昼間送電のない地域への特別送電を行い、さらにによりを通じて中国占領地、、、、南方諸地域にも放送された。
しかしそれでも、未来の日本国、日本国民の平和のために、今はつらく悔しくとも「堪え難きを耐え忍び難きを忍び」敗戦を受け入れ終戦しようと強い意志を表明されました。
21時(18分間) 全文 [ ] 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庻ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス 加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル 而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ 斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ 是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス 帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク 且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス 爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル 然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ 若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム 宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ 御名御璽 昭和二十年八月十四日 内閣總理大臣鈴木貫太郞 読み下し [ ] 朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置を以って時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ 朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり そもそも帝国臣民の康寧をはかり 万邦共栄の楽しみを共にするは 皇祖皇宗の遺範にして 朕の拳々措かざる所 さきに米英二国に宣戦せる所以もまた 実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出でて 他国の主権を排し領土を侵すが如きは もとより朕が志にあらず 然るに交戦既に四歳を閲し 朕が陸海将兵の勇戦 朕が百僚有司の励精 朕が一億衆庶の奉公 各々最善を尽くせるに拘らず 戦局必ずしも好転せず 世界の大勢また我に利あらず しかのみならず 敵は新たに残虐なる爆弾を使用して しきりに無辜を殺傷し 惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る しかもなお交戦を継続せんか 遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず 延べて人類の文明をも破却すべし かくの如くは 朕何を以ってか 億兆の赤子を保し 皇祖皇宗の神霊に謝せんや 是れ 朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり 朕は帝国と共に 終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し 遺憾の意を表せざるを得ず 帝国臣民にして戦陣に死し 職域に殉し 非命に倒れたる者及び 其の遺族に想いを致せば五内為に裂く 且つ戦傷を負い 災禍を被り 家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念する所なり 思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず 汝臣民の衷情も朕よく是れを知る 然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す 朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排せい 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うか如きは 朕最も之を戒む 宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし 汝臣民それ克く朕が意を体せよ 御名御璽 昭和二十年八月十四日 内閣総理大臣鈴木貫太郎 現代語訳 [ ] 玉音放送の全文 現代語訳。
読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 pp. 井田の記録によると、森師団長は否定的な態度を堅持していたが、「を参拝した上で再度決断する」と約束したとされる。
16思えば、今後わが国が受けるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいものであろう。
全編モノクロフィルムでドキュメンタリータッチに仕上げられた重厚な作品である。
この殺害後、師団参謀の少佐は畑中少佐が起案したと考えられる「近作命甲第五八四号」を各隷下部隊に口頭下達、近衛歩兵第二連隊に展開を命じた。
ラジオ放送用の「お言葉」の起草に取り掛かったものの、前例がないことで天皇自身が国民に呼びかける口語体の文章を作れないままに時間切れとなり、詔書をそのまま朗読することになったという 8。
それを防ぐためにとっさに本人を殴り、気絶させることで周囲を納得させた」 と親族に語っており、直接の殺意や害意は無かったと思われる。 惟(おも)うに、今後帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。 7 詔書を朗読した「玉音盤」は、わずか4分半の長さに過ぎない。
13また、わが国民のうち戦死したり、職場に殉ずるなど不幸な運命になくなった人々や、その遺族に思いをはせると、まことに悲しみに耐えない。
[田村穣生] 出典 小学館 日本大百科全書 ニッポニカ 日本大百科全書 ニッポニカ について の解説. 午前8時前には近衛歩兵第二連隊の兵士が宮城から撤収し、宮内省内の地下室に隠れていた石渡と木戸幸一内府はここを出て御文庫へと向かった。
は「全ノ無条件降伏」(第13条)などを定めていたため、その受諾は()において、することを意味した。
山田誠也 当時23歳 医学生 東京都在住 終戦当時は学校ごと長野県飯田市に疎開 後の作家、山田風太郎である。