前問で、5人の命が1人の命よりも重いと判断してハンドルを切った人なら、ここでも1人の命より5人の命を優先して、男性を突き落とすと答えるのが合理的でしょう。 どちらを選ぶかはアナタしだい! トロッコ問題には答えがありません。
しかし多くの人が、最初のトロッコ問題の質問では1人を犠牲にすることは許されると答えるのに対し、この質問では1人を犠牲にすることは許されないと答える。 デブほど体重の無い君が自ら飛び降りてもトロッコを止められず、またその事実を君は理解している。
また、 そもそも解答すること事態が間違いとする考えもあります。
このままでは前方で作業中の5人がトロッコに轢かれてしまいます」 「えーっ!!」 「このときあなたは、線路の分岐器の近くにいました。
しかし、救護義務違反は発生した交通事故に関するものであり、起きようとしている事故には適用されません。
なぜ、場合によってはだれを犠牲にすることが許されて、他の場合には許されないと感じるのかを、合理的に説明できるだろうか。
3ちなみにわたしにとっては『水槽脳仮説』が永遠のテーマです。
あなたの隣には体格のいい人がいる。
トロッコ問題(より) 2014年、マサチューセッツ工科大学のコンピュータ科学学者、イヤード・ラフワン氏をはじめとする研究チームは「モラル・マシン(Moral Machine)」というクイズ式の実験を考案した。
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政府による富の再分配に反対する背景は、リバタリアンの持つ自己所有権という概念である。 交通規則の順守を重視するか• 功利主義に基づけば、トロッコを分岐させることも、1人をつき落として脱線させることも1人を積極的に死に追いやり5人を助けるという点で等しい。 実際にハーバード大学が行った5000人規模の調査では、9割近い人が、1人を犠牲にして5人の命を救った運転手の行動は「許されるものであった」と答えています(「正しい」ではなく「許される」という表現になっているのが微妙ではありますが……)。
(2位はノルウェー、3位はシンガポール)• もちろん人間の場合で、です」 「わたしも、人に対し直接手を下すのは嫌だな」 「この派生問題はある種問題が卑怯で、問いかけの前提条件では『太った人の突き落としに失敗することはない』『太った人でトロッコは確実に止まる』『裁判で罪に問われることはない』ってのがあるんだけど、現実にそんなの想像しづらいから、考えにくいですよね」 「確かに、実際だと突き落とそうとして返り討ちにされるのとか、色々想像しちゃうね」 「うん。 自分がトロッコの管理者なら義務がありますが、たまたま居合わせた第三者である場合には義務がありません。
国別の傾向も診ましょう。
損害賠償責任を負う 自分がレバーを操作した場合には、犯罪者としての不名誉だけでなく、犠牲者に対する損害賠償責任を負うことになり、自分の人生に大きな悪影響がでてしまいます。
このように気づいたときに何らかの対応をしていれば助かった命は多いです。
ふと横を見ると太った男性がいた• 道徳の観点からトロッコ問題を考えるとき、答えを出すことはできません。 この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。
15きわめてシンプルに、行動とその結果だけを文章で書いてみましょう。 そして、その後に「別路線へ引き込む」ことで1人の命を奪って5人を助けるのと、1人を突き飛ばして5人を助けるのと、いったい何が違うのですか?同じですよね?と問いかけると絶句してしまうそうです。
許してください」 「ああ、そう…」 「さて、あなたはレバーを引きますか?」 「レバーは引きません!」 「あーっ!!」 「だって モンスターなんだもん…いっぱい倒したほうがいいよね」 「ああ…ちなみにほとんどの人は、レバーを引くそうです」 「それは人間の場合だよね。
答えがわかった人は、連絡ください。
2歳の子にこんな難しい問題理解できるの?」 答え:1人を移動させ、全員轢く 「おーい、なにやってんのこれ!!」 「私も度肝を抜かれました。
これについては色々思うところがあるんですが、それを今から語ると長くなりすぎて、 何より筆者が倒れてしまうので、またの機会にします。
19ただしレバーを動かすことで、間接的にその1人の命を奪う行為になります。
児童は、算数のテストを解くことで、新たな知見を得るわけです。
・では この問題が4月に再び注目を浴びた。
命を奪われた1人の親族から恨まれる可能性があります。
皆さまは、どのようにお考えになりますか?. 内容としては、功利主義、リバタリアンだけに偏った考え方ではなく、政治や経済においても道徳的な考え方も取り入れようということである。
9トロッコでは載っている物は石だが車には人が乗るのでこれよりさらに難しい。 場面は、走行中のトロッコ(路面電車)のブレーキが故障して、停車できなくなってしまった車内。
だれも他の目的のために利用すべきではなく、なにもするべきではないという義務論である。
幸せを数値化して量が多いことを善とする 功利主義にのっとって考えれば、1人の命を犠牲にして5人の命を救うのは正しいかもしれません。
理由は、本格的に心理を学んだ者であると仮定するならば、そうとう闇墜ちした「サイコパス」による「人体実験」「児童虐待」と考えるからである。