そうして何くわぬ顔で日本閣の増築工事は再開された。 すると今度は「ボイラー室で埋められている」という噂が流れ、3人は3月中旬にコンクリートの床を掘り起こして、ウメの遺体を裏の林に運び埋め直したそう。
14逮捕に至る事件のきっかけとなったのがこの日本閣殺人事件となります。
カウは野良仕事を嫌った。
邪魔者は躊躇なく消す。
1956年(昭和31年)、カウは塩原温泉へ移り住み、風味漬けの代金がコゲついている土産物屋「那珂屋(なかや)」を乗っ取り、ここでもがめつく稼ぎ、「風味屋」という食堂も開いた。
しかし、古いのれんを誇る塩原に新参者のわりこめるような所はなかった。
2ただ、日常では考えられない凶悪事件を起こす人の思考回路って、どうなっているのかしら??と、私のような人間は疑問に感じるわけです。 翌1960年1月、ホテル日本閣の雑役であった 大貫光吉を「2万円と自らの身体」を条件とし、生方ウメの殺害実行犯に命じます。
旅館の仕事であれば幼い頃に女中奉公の経験もあり、カウの中で旅館の女将への憧れがムクムクと生まれてきました。
主演は吉永小百合。
[第8回] ホテル日本閣殺人事件 小林カウは戦後初めて死刑を執行された女死刑囚である。
カウは3年の塩原生活で、実に300万円(現在のおよそ1,740万円)もの貯金を蓄えた。
11小林カウさんは最後ですらも凶悪な犯罪者としての考えを曲げなかったのです。 今でも好きです」とこう語るほど夢中になった相手だとされています。
だが途中で資金が尽き、未完成のみっともない姿に壊そうにも金がかかり、鎌助は途方にくれることになった。
カウは塩原がすっかり気に入った。
経営者の夫は精神的に追い詰められて、殺害をほのめかすような言動を始めたそうです。
「昭和の毒婦」などとマスコミ報道も盛んで、日本閣には連日見学者が集まった。 事件のその後:逮捕後、夫の事件も明らかになる 逮捕後カウの最初の証言によれば愛人であった中村又一郎に「亭主をやってしまおう」と青酸カリを受け取り、秀之助に風邪薬と偽って飲ませたとしています。
1ホテル日本閣の乗っ取りを計画 塩原温泉郷にやってきたカウは、その積極的な行動力ですぐに地元の人々とも馴染み、商売も上手くいったといいます。
夫と娘に恵まれて幸せそうに暮らしていたように見えた小林カウさんですが、夫が病弱だったということで生活が苦しかったそうです。
同時に夫殺しの共犯として元巡査には懲役10年が下された。
ただ興味深いことに、それまで熱心だった化粧や愛想笑いは辞めた。
そんな小林カウさんにとうとう限界が訪れて破局をして、別の女性と結婚したのです。 その後の取調べでカウは前夫の殺害も自供、愛人だった元巡査も共謀した共犯として逮捕された。
12加えて夫婦仲もうまくいっていなかったことで、「妻のウメに手切れ金50万円を都合してくれれば、その後釜にカウを」と鎌助は言う。 しかし当初からカウは不満だった。
若い頃より貧困に苦しみ、小学校4年生までしか教育を受けていません。
1審の6回公判では「青酸カリは受け取ったが、川に捨てたので殺していない」、20何回目かの公判では「中村に精力剤だと言ってたのをもらい、セックスの弱い夫に飲ませたところ死んだ」と言っている) 中村がどこで青酸カリを手にすることができたのかも調べられ、あるメッキ工場主が制服巡査に青酸カリを渡したことがある」と証言したが、10数年前のことで、中村かどうかはわからなかった。
世渡りも上手く、金にはしたたか、商才には長けていたとはいえ、結局は世間知らずで無学だった女の姿がそこにある。
「村の若い衆と映画を見にいった」「別の若い衆とも遊びにいった」と吹聴し、周囲からは嘘つきと罵られた。 しかし、長男は健康に恵まれず17歳で亡くなってしまいました。
15しかし手切れ金を30万に下げてウメに交渉するも失敗(50万円という条件をウメが譲らなかった) どうせウメは承知しないし、手切れ金を出すのは惜しいからとウメを亡き者にしようと計画します。 夫の死因は脳内出血と診断され、林葉かよは橋本と同棲をはじめました。
だがホテルはカウのものにはならなかった。
その後、中村はカウの関係や素行の悪さから警察を辞める。
秀之助は身長が低く、貧弱な体格で、いつも青白い顔をしていた。