岩に巌(いはを)を重ねて山とし、松柏(しょうはく)年旧(としふり)、土石老いて苔(こけ)なめらかに、岩上(がんしよう)の院々扉を閉て物の音聞こえず。 頭上には梅雨明けの大空がはてしなくつづいています。
この俳句が詠まれた背景も「奥の細道」を読むことで理解できます。
当時から景勝地として知られているので、芭蕉は期待を込めて訪れたのです。
それらも根拠について触れているわけではないので、以上は4の自説ということになります。
(1)1926年、斎藤茂吉 歌人 は雑誌『改造』の記事で、「閑さや岩にしみいる蝉の声の蝉は、アブラゼミである」、と断定した。
その後、蝉がアブラゼミかどうかが論争となりました。 麓(ふもと)の僧坊に宿を借りておいて、山上の堂にのぼる。
「しみつく」=「しみ」+「つく」 「しみ込む」=「しみ」+「こむ」 「しみ入る」=「しみ」+「いる」 「しみ」は共通していますね。 その後、遣唐使船に乗って唐へと留学。
そして、『蝉の種類は何か』と言う事には興味が有りません。
私にとっても、「空から降り来るような蝉の声の中にある透徹した静けさ」というこの解釈は、モチーフとして覚えておきたいと思わされるエピソードとなっているのです。
岩上の院々 :<がん しょうのいんいん>と読む。
こういう事情がなかったといえるのか。 そのことを可能にしたのが「岩にしみいる」なのですね。
語調とは「音(おん)」です。
(3)但し、「しみ入る」ことはない。
今どう教えているのかは知りませんが、芭蕉庵どっとこむ樣でも「しづかさや」とありました。
そう仮名を振る根拠が知りたいです。 蝉は<春蝉>か?、<にーにー蝉>か?、はたまた<油蝉>か?。 昼から夕方(まだ日の沈まぬ頃『奥の細道』) 発問 話者はどこにいますか。
6「岩に巌を重ねて」います。
それは、 鳴いている蝉の声って 何蝉の声なの? ということです。
先生が振り返ったときに書けていたら天才です。
が、同一人物の元禄4年と元禄2-4年の作ですから、この件に限っては結論づけて良いのだと思います。
よって「閑さや」は「しづかさや」と仮名を振り「しずかさや」と音読されるべきだと判断しました。 この句に関しては古来議論が絶えない。 ーと書かれてあります。
10閑さや岩にしみ入る蝉の声 解説 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、すんなりと、できあがったわけではありません。 「しみ」の、「し」・「み」は、イ段・イ段です。
意味 周囲の岩々にしみ入っていく蝉の声が、山寺の閑さを一層深めている。
この発想が、俳諧の世界では斬新なものでした。
2 この句の解釈 俳句の解釈ですから、人それぞれに感じたもので、正解はない訳ですが、 芭蕉が立石寺を訪れたのが、旧暦の五月二十七日です。
松尾芭蕉の奥の細道から2句、 川端康成の雪国の有名な出だし、 平家物語の冒頭、をそれぞれ例に取り、その英訳例を見ていくことにします。 出典 [ ]• 芭蕉の時代には「閑(しづ)かさ」という名詞はあったが「閑(しづ)けさ」という名詞はなかったことが判っているのですか。
1松尾芭蕉ってどんな人? 松尾芭蕉は、江戸時代に活躍した俳人です。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を物理的に解釈すれは、補足することが何点かあります。
定説になっていることにも異論はありません。
もう一つは、絶景を前にして、感覚の主体が、聴覚から視覚に切り替わった事です。