ひびき「弘法も筆の誤りやな! 」こだま「 そら別々のもんやないか〜い」• ・ このギャグの発端については下記概要を参照のこと。
また、「チッチキチー」が流行る以前から時々『』に出演し漫才を披露していたほか、の肝いりもあって、月に1回は東京でライブを開催するなど、大ブレイクとはいかないまでも既に全国的にそれなりの人気は獲得していた(もっとも、関西ローカルの番組では、たびたび関西圏と関東圏の笑いのツボの違い(関東圏では関西圏でウケるべき所でウケず、逆に関西圏でウケないような所でウケることがある)を漫才のネタにしてぼやいていた)。
大木ひびき• コンビ結成当時、弱小プロ所属であり、また例の事件からそれほど時日が経過していなかったこともあってか、常打ち劇場には出演しないマイナーな存在ではあった。
大木こだま・ひびき• Credit:• くす玉が割れて紙吹雪が舞い皆から胴上げされて、表彰式でトロフィーを授与された。
ひびき「ドングリの背比べやな! ・ 元は歌手志望で「全日本歌謡選手権」の滋賀予選に応募し落選した事がある。 また、「親子で一緒に仲良く笑ってほしい」という理由から、下ネタも封印している。 それがたいがい断崖絶壁や」「 犯人が主人公を殺そうとした時にパトカーが来る・・・はよ殺さんかい! そやけどこだま・ひびきだけは侮ったらあかんなと感じる」。
10長女はフリーアナウンサー(元静岡第一テレビ)・西山加朱紗。 (中田カウスから「銭のにおいがしてきたな」と褒められたのもこの頃) そして、には、 とをダブル受賞。
大木こだま・ひびき(おおきこだま・ひびき)は日本の漫才コンビ。
(こだまの長女、静岡第一テレビ(SDT)アナウンサー)• 滋賀県立彦根工業高等学校卒業。
あれは前足や〜」 ・ ひびき「恥ずかしいて顔から火が出たんや」こだま「顔から火は出えへんやろ〜。
大木こだまはもともと、大木ひかりと漫才コンビを組んでいた。
(特に大吉は、こだまに師事している。 「チッチキチッチッチー ミスタードーナツ」というフレーズが流れている。
ほな何かい、弘法さんは筆見たら「えらいすんまへん」て謝んのか〜い」• トイレやがな〜。
・ ひびきがこだまの話に対し「おれもこんなことあったんや」と、自分の話を言いかけるが、こだま「お前は無い〜」ひびき「あるがな!!」こだま「あっても言うな〜。
そこで見た中田ダイマル・ラケットの漫才に衝撃を受け、同年11月にダイマル・ラケットの弟子の中田アップ門下で、松竹芸能から中田ネオン・サインの中田ネオンとしてデビュー(つまりダイマル・ラケットの孫弟子にあたる)し、こだまと同じく、トップホットシアターに出演していた。
(大木こだま)「」 1981• 1991 xsd:integer• 解散後、同年12月に秦欣嗣(古都ころん)と共に古都からん・ころんの古都からんとして活動。 所属は当初はファースト企画であったが、にへ移籍し、現在に至る。
建設会社人事課を経て、に吉田正純(大木ひかり)と 大木こだま・ひかりを結成。
また、2006年には当時東京ヤクルトスワローズに所属していたアレックス・ラミレスが、本塁打を打った後のパフォーマンスの一つとしていた。
漫才師になる方法を質問して教わった上で、弟子にしてくれとカウスにお願いしたところ、「君は今すぐに漫才師になる必要はないよ」とカウスに諭され、弟子入りを断られたが、こだまはひるまず、「僕の生涯の友だちになって下さい」と提案した。
(大木ひびき)「」 1999• 果たして、コンビ再結成の二か月後に行われたで、新生のこだま・ひびきは、抜群の成績で見事に優勝(福笑い大賞)、表彰式で感涙にむせぶこだまを目の前にして、審査員であった香川も目頭を熱くした(なお、2位はであった)。 2005年 第34回上方お笑い大賞 大賞• 大学を中退して漫才師になりたいと思った若き日のこだまは、大胆にも、当時無名の前座漫才としてに出ていたのカウスとの面会を申し出て会うことに成功し、近所の喫茶店に連れて行ってもらった。 本人は歌詞を忘れてしまっているため、もはや歌うことができない(2006年5月に「」(TBS)に出演した際に大木こだまが発言。
14また、シャンプーハットもこだま・ひびきへの敬意をテレビの漫才番組で何度か示している。
本人は歌詞を忘れてしまっているため、もはや歌うことができない(2006年5月に「うたばん」(TBS)に出演した際に大木こだまが発言。
長女はフリーアナウンサー(元)・。
・ 「んなこと言われたらアンタ、チッチキチーやで〜」というふうに、「往生しまっせ〜」と似たような場面で使われる。
こだま・ひかりは、その実力に違わず、にはにおいて最優秀話術賞(優勝)を受賞した。 」こだま「 夢やがな〜」• 文珍クラブ』(朝日放送)にこだま・ひびきで出演した時、文珍は、こだまには芸人としての「フラ(持って生まれたおかしみや愛嬌)」があることを述べていた。 かつて舞台でひびきに叩かれた時、真顔で「そういう漫才がしたかったらコンビ別れさせてほしい」と告げたという。
続けてこだまは「そんでええやないか、そんな話今せんでもええねや、漫才終わったらじっくり聞いたるがな〜」とかぶせる。
」こだま「 五十歩と百歩は全然違うやないか〜。
・ こだま「そんな奴おれへんやろ〜」 ・ 大阪弁(北摂弁)で「そんな奴いないだろう」。
ひびきは鼻をさわりながら「プンプン」と言うギャグがある、五木ひろしの物真似でも有名。
・ 本名で漫才作家としても活動しており、海原さおり・しおりのネタの脚本を手掛けていた。 そこで見たの漫才に衝撃を受け、同年11月にダイマル・ラケットの弟子の門下で、から中田ネオン・サインの中田ネオンとしてデビュー(つまりダイマル・ラケットの孫弟子にあたる)し、こだまと同じく、トップホットシアターに出演していた。 大木 ひびき(おおき - 、本名: 加藤 修(かとう おさむ)、 1955-06-21 (65歳) - )ツッコミ担当。
20」と言う)に対して「 嘘やがな〜」というパターンもある。 肩落としましたて、おまわりさんに言いに行くんか〜い」• ひびきは鼻をさわりながら「 プンプン」と言うギャグがある、の物真似でも有名。
ひびき「猫の手も借りたいんや! んなこと言われたら焦るなおい〜」これにひびきが「嘘をつけ」などとツッコミを入れる。
さらに、それに答えてひびきもTVドラマに突っ込みを入れ、こだまが「 そんな奴おれへんやろ〜」または「 そらそんでええやろ〜」と返す。
胸が躍ったらレントゲン取りにくいがな〜」 ・ ひびき「足が棒になる言うてね」こだま「足は棒になれへんやろ〜。