初代 1982年10月4日 - 2008年3月28日(第1期)、2010年4月5日 - 2011年9月30日(第2期)、2012年11月5日 - 2014年3月31日(第3期) 『いいとも! (、2004年4月 - 2004年7月)• (火曜日): - 当時月曜レギュラー• 2015年• なお、10月以降は、その他に『』終了後の番組開始前に(15秒間)に出演していた(日替わり制導入により現在はレギュラー出演者などが出演)。 1985年8月13日:の生存者救出• 選手権」にも参加した(相方の木本は参加していない)。
62013年(月曜日)は月曜レギュラーのがで開催の世界マスターズ陸上選手権に出場の為欠席。
正式にはのみ(一般番組供給協定はFNS単独(NNS非加盟))。
に萬田の内縁の夫だった人物が逝去したこともあり、萬田本人の強い意向によるものだが、同日の放送で萬田の欠席とその理由について触れられることはなかった。
」(実際はオールバックではなく真ん中分け、色の薄いサングラスの導入は後述の通り1か月遅れではなく2週目から)と述べている。
世界にひろげよう友だちの輪ッ part2』(サンケイ出版、1983年、)• 1月16日(テレフォンゲスト:)を含む「テレフォンショッキングダイジェスト」は翌週1月29日に持ち越して放送。 『・土曜日』のキャスター担当就任の為降板。
2014年3月24日、エンディングで3月31日の通常放送最終回とゴールデン枠に生放送が予定されている『笑っていいとも! なお、野澤は翌13日(金曜日)も欠席し、代理を草彅剛が担当した。 頃から、20代・30代のアナウンサーによる担当がほとんどになった。
。
オープニングではまとめて紹介された。
オープニングCGでは「笑って」の旗にはためく動きが加えられていた。
テーマソング オープニング・エンディング曲 「ウキウキWATCHING 」 (初代)いいとも青年隊の リリース 1983年 規格 シングルレコード ポップス、主題歌 発売元:ラジオシティレコード 販売元: 小泉長一郎 伊藤銀次 収録曲• 』終わる前に出られてよかった」と喜んだ。 その後も終了に至るまで本番組は同時間帯の放送地域数並びに放送局数(遅れネット局も含む)では最多の番組だった。
10AP:黒柳法子• 「 楽しくなければお昼じゃない! 過去のテレフォンショッキングの総集編からなる代替番組『友達の輪スペシャル』として放送。
(声優、2012年5月13日)• 2011年10月3日から2012年11月2日まで担当。
タモリがを務める番組の中では『』 に次ぐ。
ゲストには多岐多彩な分野の人物が出演をしており、現役のが出演したこともあった。
2009年、笑福亭鶴瓶(以下、鶴瓶)が休暇のため欠席、代役としてオープニングのレギュラー陣紹介の時にのが鶴瓶のモノマネをして登場した(相方のも遅れて登場した)。
11全期間に渡り行われたテレフォンショッキングは番組開始時の構成では最後のコーナーだった(初回は「世界の料理」が最初に放送)。
なお、平成生まれの初の男性曜日レギュラーは、2012年から水曜レギュラーになったである。
KSS• 1983年10月3日、 、 にて放送を開始。
それ以前の2008年8月のみ1か月間、水曜日担当の渡辺和洋アナウンサー(当時)の代理を務めた。
特別企画として、に予告されていた、火曜レギュラーの()「ダイエット企画」を行った。 科学実験で笑っていいとも! しかし、木下が鶴瓶のモノマネをしていたのはオープニングだけで、その後のコーナーではメガネをかけているだけで全くモノマネをしていなかった。 テレフォンアナウンサーが導入されて定着してから20年以上経過したこともあり、番組末期の時点はベテランメンバーとなった。
11提供クレジットは全て番組エンディング前となる。
1993年9月13日に、が自身のラジオ番組()のコーナーで、20日のテレホンショッキングのゲストのもとに大量のが届くという予言(という名目のリスナーへの煽り)を放送した為、20日のゲスト、の元に「電話帳にして4冊分」という大量の電報がリスナーの手によって届いてしまった(通常ゲストに届くのは数通程度)。
放送分では、月曜日レギュラー(当時)ののが担当のと共に浴衣姿で登場した。
3人のの大きさがAカップだったことから由来している。
なお、レギュラー放送再開となった3月21日の放送では、オープニングでタモリが『先週金曜日、東日本大震災、被災者の皆様方に心よりお見舞い申し上げます。 また番組オリジナルとして、タモリの「増刊号」が登場した。 1998年10月、テレフォンショッキングのコーナーでは、スクロールで簡単にテレフォンゲストのプロフィールを表示するようになる。
82001年9月12日:• までは男子アナウンサーも浴衣を着用していたが、男子アナの浴衣姿についてはタモリが興味を示していない。 1985年1月11日 、テレフォンショッキングに、この日のゲストのではなくビートたけしが冒頭サプライズで乱入。
2014年2月に岡村のみが不定期レギュラーとして復帰。
2014年(火曜日)は火曜レギュラー・のがインフルエンザの為欠席。
』と、被災者へのお見舞いの言葉を述べた。
番組のレギュラーの中で卒業後改名したレギュラーは、、、、、の7人。
2009年(月曜日)引き続き、香取が欠席しが出演。
テレビ山口における本番組終了と同時に、山口県は1993年4月 - 1997年3月までの山形県以来となるフジテレビ系帯番組が一切放送されない唯一の県となった(フジテレビ系列局が所在しない山梨県と徳島県では本番組は非ネットだが、本番組の直後番組である『ライオンのごきげんよう』は時差ネットしている)。
またには、タモリと二人で司会をというオファーがあった(小松とタモリは同じ出身で親交もあった)が、当時ゴルフに熱中していた小松は「(平日毎日の生放送に出演していたら)ゴルフに行けなくなっちゃう」として断ったことを自著で明かしている。
1984年4月2日、での放送を開始(時差ネット)。
担当するのはレギュラー時代同様女性アナが数人・男性アナが1〜数人(曜日は当然固定ではない)となっていた。
『今日調子いいな』って思ってオモロないこと言うと、さっと引く」と、岡村自身が『笑っていいとも!』から学んだことを語った。
」:月曜日〉 記録 出演期間 記録 出演期間 諸記録 最年長レギュラー (74歳8か月) 最年少レギュラー (7歳10か月13日) 歴代コーナーレギュラー出演者 番組から誕生したユニット これまでに当番組レギュラー出演者からが誕生している。
2009年4月24日、金曜レギュラーの が2009年4月23日未明に罪によりされ、この日の出演はキャンセルされた。