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小林は「元社長の解任は、提示した慰労金の金額を彼女が納得しなかったためやむなくと行った」としているが、関根さんは書面で反論した。
誠意を見せないと、いくらでも爆弾を持っているのでは」と話すのは芸能評論家の肥留間正明氏。
あれ以降NHKへの出演はほとんどなく、紅白のオファーがあるとは思えません」(前出・音楽関係者) だが、いまの小林は紅白どころではないという。
関根さんは、最大の心残りは小林幸子の50周年公演を手掛けてあげれないことだった。
慰労金(退職金)の額などについても、分割払いを提示するなど、揉めてしまっていたようです。 Aさんはその内訳や理由を説明したのだが、林氏はひかなかったという。
祝福されてると思われていましたが、結婚した相手の前妻は、小林幸子に騙され夫を略奪されたと当時かなり怒っていたという。
そこで、17年間所属したレコード会社『日本コロムビア』との契約の解除を申し出たのが真相です。
「でも、放送が終わってからスタッフに"ラスボスって何?"って聞いたんですよ」と小林は笑う。
33年間、小林に仕えて退職する際の慰労金について、「2回に分割する、そしてその理由は、私が退職後に何らかのネガティブな情報を週刊誌などに流すことを疑い、その心配が解消された時期に払いたい、だから、小林さんがどうしてもここだけは譲れない、ということでした」と暴露した。 紅白の衣装が約1億円するのを、自分ならもっと安く作ることができると夫の林明男氏が注文をつけたことに始まったという騒動。
19幸子さんとの結婚生活は終始円満で息子も喜んでいたのですが・・・」 どうやら林氏は結婚前からこうなることを考えていたようだ。 本人の口から事実を認める時はくるのでしょうか? 2011年9月1日に結婚会見では、出会って2週間でプロポーズを受けたなどと、おのろけ連発だった。
解任された社長は50周年だけでもさせてほしいとお願いをして断った経緯がありますが、このままでは芸能活動もピンチに・・・ 小林幸子と事務所の元社長である関根良江氏との泥沼対立が発覚して3週間ほどが過ぎた。
「紫綬褒章がほしいとお願いしたそうです。
そんな彼女は、故郷である新潟でイベントに参加していた。
10歳でさっちゃんは単身上京し、一人暮らしを始めました」(音楽関係者) 彼女は第二の美空ひばりとして期待されデビューしたが、そこで事件が起きた。 それで事務所の経営方針に疑問を持ったようです。
母親を直撃するとこんな事実を語り始めた。
このメディアで、小林幸子は"超"がつくほどの有名人となっていたのだ。
自分を敵視する林氏は面白いと思うはずがありません。
「もちろん蓄えはまだあるでしょう。 私が彼から小林さんのことを聞いたのは、結婚していた時のことでしたから、あの時、畳み込むように離婚を迫られた理由はこれだと沸かしました。
5同日発売の「週刊新潮」が報じた。
いいですね。
会見の様子をみて、冒頭のようにぶった切ったのはコラムニストの今井舞さん。
調子に乗りすぎてまた足をすくわれなければいいが。
紅白では高額の衣装代に林さんから異議が出て、その後、社長が事務所の金を使い込んだとのウワサが流れた」(芸能関係者) 別の関係者によれば、女性社長は退職金なしの解雇を不服とし、双方が弁護士を立てて話し合いを継続しているという。 あの衣装も、その新曲をNHKのプロデューサーに聴いてもらい、話し合って作ってきた。
だから結婚というものも考えれない」と語っている。
当時、退職金などを巡り、両者の弁護士で和解を探ってる段階だった。
林氏はバツ2でそれぞれに長女と長男がいた。
「ラスボス」とは、「ラスト」の「ボス」、つまり「最終の敵役」という意味だ。 NHK紅白歌合戦名物の豪華衣装は女性社長の発案といわれ、芸能界では「腰の低い素朴な人柄」(関係者)で知られる。 窮地に立たされているようです。
紅白の舞台裏に詳しい芸能ジャーナリストは、「紅白のアノ衣装はタフな交渉術に長けた女性社長と小林本人、それにNHKの間で積み上げてきた話し合いの中で誕生したもの。 「関根さんは別会社で芸能界の再出発をすることを決意しました。
それまで遠い存在だったラスボスが、自分たちの遊び場に降りてきたという感覚でしたね」 そして、ステージで小林は『風といっしょに』という曲を歌った。
実は、35年前にも当時所属していた事務所のマネジャーだったA氏に入れ込むあまり、『ヌードになったら売れる』とそそのかされ、ヌードを披露したことがあった。
小林の会見によると、ふたりの出会いは2005年11月に倍賞千恵子との食事会でだったという。