またマニラ市のラモン・マグサイサイ賞財団よりマグサイサイ賞を贈られている。 - 日本側実行委員長に就任。 平山郁夫とシルクロード 1966年,現在のトルコ共和国の地に入り,ビザンチン時代の石窟教会に残る壁画を模写。
11平山郁夫がシルクロードに足を踏み入れたのは、1968(昭和43)年、仏教伝来の源流を訪ねてアフガニスタンから中央アジアを巡った旅が最初でした。 旧制中学 3年のとき,広島市内に投下されたで被爆。
『東方の夢遥か ペルシアから奈良への道 平山郁夫』美術年鑑社 1987• 東京芸術大学長に就任。
2002(平成14)年 72歳 9月、中国政府から文化交流貢献賞を贈られる。
1997(平成9)年 故郷の広島県瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館。
壁画は約30年かけて制作、7場面13面で高さ2. その道なき道には、文化の繁栄を支えた人びと一人一人の想いが深く刻まれています。
平山郁夫 人の形、仏の姿 2017年11月28日(火)~2018年03月11日(日)• 「私がシルクロードを歩くようになったのは,日本文化の始まりである仏教伝来の道をたどることが目的」だったという平山画伯は,「仏教伝来」をはじめ,「玄奘三蔵への道」「アレクサンダーの道」シリーズなど,シルクロードと関わりの深い作品を数多く残している。
『対話日本文化とこころ』実業之日本社 1996• - 東京藝術大学学長に就任。
『永遠のシルクロード』講談社 2000• 昭和34年頃、白血球が減少するという原爆の後遺症に苦しみ、死の恐怖と対峙しました。
平山は取材旅行のさなか、片言ながらもその国の言葉で挨拶をするように心. 50代以降には、東京芸術大学長に就任したり、ユネスコ親善大使に任命されました。 『遥かなる旅』日本経済新聞社 1988• 批評 [ ] 日本とアジア諸国との友好活動や東北アジア・中央アジアでの文化財保護活動はアジア諸国、特に中国政府から評価が高く、会長も務め、「文化交流貢献賞」が贈られている。 49歳 9月、北京で平山郁夫展開催。
8- 文化財保護振興財団理事長(現・文化財保護・芸術研究助成財団) に就任。
『入涅槃幻想』(1961)(蔵)• 平山は、そうした名もない人びとの想いの積み重ねが文明や歴史を形づくると考え、荒れ果てた砂漠や遺跡に人間の痕跡を探し求めてはシルクロードに取材した作品を繰り返し描いているのです。
。
- 東京美術学校(現・)に入学。
『群青の海へ わが青春譜』佼成出版社 1984 のち中公文庫• 『シルクロード夢幻 仏教伝来の道』日本経済新聞社 1999• 61歳 パリのギメ国立東洋美術館で、『平山郁夫シルクロード展』開催。 - 「」受賞(政府より)• 2017年11月14日閲覧。
出典: 平山郁夫は、故郷の広島県瀬戸田町の風景を、水彩画で多数描いています。
(10月~翌年5月) 1963(昭和38)年 33歳 第48回院展に出品した《建立金剛心図》が奨励賞(白寿賞・G賞)を受賞。
ほかに、ユネスコ親善大使・世界遺産担当特別顧問、東京国立博物館特任館長、文化財赤十字活動を提唱する文化財保護・芸術研究助成財団の理事長などをつとめた。
『ガンダーラとモヘンジョダロ 平山郁夫のスケッチブック』平凡社 1981• 『ヨーロッパの街角』日経ポストカードブック 1999• その時期に、「東京オリンピックの聖火は、シルクロード経由で運んではどうか」という新聞記事を目にしました。 『平山郁夫シルクロードの美と心』実業之日本社 1978• 1995(平成7)年 65歳 東京芸術大学長を退官。 11月、日本楼蘭学術文化訪問団の団長として、中国新疆ウイグル自治区の楼蘭を訪問、遺跡を調査、取材。
20『ヨーロッパ旅情』日本経済新聞社 2001• jp 最近の編集者 2019年2月4日 じゃらん 2014年10月20日 日本観光振興協会 新規作成. 『道遥か 自伝画文集』日本経済新聞社 1991• 『平山郁夫スケッチ撰集』全3集 日本放送出版協会 2001• 1966年に東京芸術大学第1次中世オリエント遺跡学術調査団に参加後,をたどって仏教東漸の道を求め,やアフガニスタンをたびたび訪れて仏教,各地の仏蹟やなどを主題にした一連の傑作を生んだ。
シルクロードシリーズも描き続けていて、シルクロードの砂漠を旅するラクダのキャラバンを描いた「大シルクロードシリーズ」は、21世紀に入って次々と発表された、代表作の1つです。
『シルクロード幻想の旅』講談社 1983• 『平山郁夫私のスケッチ技法』実業之日本社 1981• 17歳で東京美術学校 現東京芸術大学 日本画科予科に入学し、日本画家予科を卒業すると同時に日本画科副手に就任し、主任教授の前田青邨(まえだ せいそん に師事するようになりました。
郁夫は後半からたびたびシルクロードの遺跡やを訪ね、極寒のから酷暑のに至るまでシルクロードをくまなく旅している。
『平山郁夫』日経ポケット・ギャラリー 1993• 『アジアの心日本のこころ』共著 清流出版 1996• 平山郁夫 東アジア-緑の大地 2010年08月03日(火)~2010年11月14日(日). 43歳 5~6月、アレキサンダー大王東征路の考古学的調査団(団長江上波夫)に参加、アフガニスタンからトルコまで陸路シルクロードの遺跡を取材。
1平山郁夫 色彩の世界 2017年04月01日(土)~2017年07月23日(日)• 『シルクロード幻想 平山郁夫銅版画名作集』毎日新聞社 1979• 『日本の道を描く 平山郁夫画集』1-2 朝日新聞社 1994-96• - 会長就任。
観光MAP• 米スミソニアン協会より、ジェームズ・スミソン賞受賞。
翌年第38回院展で初入選。
平山郁夫 仏教東漸 2015年04月03日(金)~2015年07月26日(日)• 自身の作品に取り組むだけでなく、国内外を問わず後進の指導に邁進し、文化功労者として顕彰されたり、文化勲章を受章するなど、その功績が認められています。
東京藝術大学学長を辞任した1995年には岩橋英遠の「赤とんぼ」という作品からの盗作疑惑が持ち上がっている。 『大唐西域壁画』(2000)(玄奘三蔵院壁画) 著書 [ ] 著書・画文集 [ ]• 以来40年、平山郁夫のシルクロードの旅は続いています。 71歳 8月、フィリピンのマグサイサイ賞(マグサイサイ財団)(国際理解部門)を受賞。
20世界の文化遺産の保存や修復活動にも力を注ぎ,1967年金堂壁画再現模写事業,1973年壁画の現場模写に従事,中国の敦煌遺跡を保護するため,個展の収益 2億円を寄付した。 『時を超える旅 世界遺産をたずねて』朝日出版社 1998• 『吉備路を描く 平山郁夫画集』中央公論社 1991• 1976年に「平山郁夫シルクロード展」が開催され,日本芸術大賞を受賞,2000年には奈良の玄奘三蔵院に『大唐西域壁画』を奉納した。
故郷の絵ならではの温かいタッチや色づかい、素朴さが特徴で、平山郁夫美術館や平山郁夫シルクロード美術館などに作品が多数収蔵されています。
『世界遺産のいま』,共著 朝日新聞社 1998• - 日本芸術大賞受賞• 『熊野路を描く 平山郁夫画集』中央公論社 1993• 『絹の道から大和へ 私の仕事と人生』講談社カルチャーブックス 1992• 『出雲路古代幻想 平山郁夫画集』中央公論社 1998• 平山郁夫 世界各地の建築 2019年10月01日(火)~2019年12月01日(日)• 古代ヘレニズム都市として、ローマの支配下に入ってからも東地中海交易の中心として繁栄した。
玄奘三蔵がこの道を通っていったことからもわかるように、シルクロードは東西の交易の路であるとともに、それぞれの文化が行きかう交流の路でもありました。
『ぶれない』三笠書房 2008• 以後前田青邨 せいそん に師事する。
そのころに目にした新聞記事をきっかけに、平和を祈る作品を作りたいという思いが芽生えたそうです。 - に就任。
また(後に)である東京藝術大学の学長という公職にありながら、出版社、百貨店、放送局などとタイアップした自作の展示即売会で多額の利益を上げている点などを批判されることもある。
『シルクロードの華アフガニスタン 平山郁夫画文集』共著 日本経済新聞社 2002• 『日本を描く』共著 読売ぶっくれっと 2005• 平山郁夫 文化遺産を描く 2010年11月16日(火)~2011年03月21日(月)• 『薬師寺玄奘三蔵院大壁画』講談社 2001• 『シルクロード東へ』日経ポストカードブック 1998• 平成21年12月2日永眠(満79歳)。
『永遠の道』プレジデント社 1992 「生かされて、生きる」角川文庫• 卒業後、(祖母の兄)の強い勧めもあり東京美術学校(現・)に入学。
後は実家に近い旧制忠海中学(現)に転校した。
東京 日本画家。 日本文化の始まりである仏教伝来の道をたどることを目的として、シルクロードをテーマにした作品を制作するようになりました。
日本美術院理事長に就任。
平山郁夫の作風 平山郁夫の作風は、次の特徴が挙げられます• 広島県豊田 とよた 郡瀬戸田 せとだ 町(現尾道 おのみち 市)に生まれる。
「仏教伝来」を制作する以前は、故郷の景色を題材にした作品も多く、原爆について描いた作品もあります。