----2011年4月 石の上に3年どころか、地震研に来てもう10年(記念年、失念してた)をふっとばし、もう少しで15年(!)を数えるようになってしまった。
投稿者 投稿日: カテゴリー 地震研究所官制の一部、興味深い箇所を抜き出してみましょう。
その中には寺田寅彦、長岡半太郎はいうまでもなく、今村明恒、後に所長となる石本巳四雄(みしお)、妹沢克惟(せざわ かつただ)、中央気象台の台長・岡田武松(たけまつ)や藤原咲平(さくへい)、土木試験所長・物部長穂などの名前も見えます。
とはいえ、実際にどれだけ当たるのか、という点についてはまだまだ難しいようで地盤変動からいえば、日本中いろいろなところで地震発生の可能性が出てしまい、結局「どこでも可能性がある」みたいになりかねません。
衛星画像も反応継続中です。 九州南部M6弱注意(未発なので様子見) スポンサーリンク. ここで列記する研究内容は、この時代の要請に答えるものなのか、それともそんなことを気にせず、我動せずで行くか、そんなことも学生と考え、研究をシュクシュクと進めていきたい。
中央が末広恭二 そして三菱造船所の研究所設立提言や所長就任に見られる政治的・実務的な能力も、地震研究所設立に当たっての総長古在由直の支持を得るのに役立ったと思われます。
いずれも東京帝国大学の造船学科に繋がる人脈によって、地震研究所の基礎が築かれたことは明かであり、それまでの東京帝国大学地震学科の流れとは、全く異なる方向に一歩を踏み出しました。
昭和8年(1933) 三陸地震津波 北海道・東北沿岸の現地調査、検潮記録の収集、アンケートによる津波襲来状 況・付随現象の調査等が計画的に行われ、『地震研究所彙報別冊』として出版 されるなど、世界最初の津波総合調査となり、現地調査の方法が確立されまし た。
毎日のデータチェック等 地震予知情報をお届けします。 大地動乱の時代が幕開けた。
継続中。
翌年には東京帝国大学助教授となり、造船工学が専門であった末広のもとで、「振動論」の研究を専らにします。
そんな充実した体(?)までなってと、これまた遠目で感傷に浸っていたら、明日から実験室立ち入り禁止。
スタンバイしている地域を画像にしたものです。
今度の地震こそ研究方針につき一転機を促していることは、誰も異存なきことであろう」と言い、石原純は「今までは地震の歴史的統計の研究が多かったのではないか、今後はもっと地震波動を物理的に研究せよ」、寺田寅彦は「本当の地震学は此を地球物理学の一章として見た時に始めて成立するのではないか」などと述べています。
全くのデタラメなので,今後二度と見る必要はありませんよ.それは,先の回答にもあるMEGA地震予測も同じです.というか,今のネット上に信用に足る地震予測は無いと思っていいです.どれも,期間が長かったり,M6以下の小さな地震を対象にしていたり,そもそも論文が無かったりと,子供の遊びレベルです. グラグラですが,年がら年中,それこそ毎週,毎日のように『地震が来る』と呟いていて,下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるを実践してるだけの人ですね.でも,実際には大地震は数年に1度なので,グラグラがデタラメであることは自明です.そもそも論文が無いので科学的根拠がありませんが. そしてそれは,MEGA地震予測も同じです 査読論文により無関係な第三者の検証を受けていない,科学的根拠のない手法で有料サービスをやっている分,グラグラよりも悪質 .MEGA地震予測も,長期間に渡って日本の殆どの地域に予測を出しているので,これも下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというだけです. 科学的根拠のない状態で予測を乱発しているだけなので,頻発する小さな地震はそこそこ当たりますが,あまり発生しない大きな地震は当たりません.実際に,熊本地震も大阪府北部の地震も予測できなかったんですよ. そもそもGPSの観測ノイズを除去していない疑惑を繰り返し指摘されていますが,何年経っても適切にやっていることを証明する論文を出さないので,批判が出るのはJESEAの自業自得です ちゃんと研究しているなら論文出せばいいだけの簡単な話ですから . 地震に対する対策としては,ネットに氾濫しているデタラメ地震予測からは距離をとって,昔から言われている対策をキッチリすることです.つまり,家の耐震性の確保,家具の固定,食料や非常用グッズの備蓄,避難所の確認といった,いつ地震が発生しても役に立つ備えです. 私は地震に関する研究者でも気象庁関係の人間でもありませんので、わつぃの知りうる知識の範囲で。
見えない敵の出現にオロオロと。
ここで我々はどうでるか。
今現在で一番注目されているのが、JESEA 地震科学探査機構 でしょうか。
そして本来門外漢であったはずの地震計測に関する研究が評価され、学士院賞を受賞。
静寂傾向が長く続くと それなりに強い地震になる傾向にありますが 1日程度でしたので あまり怖くないと思います。
そして明治44年 1911 には工科大学教授となり、大正7年 1918 の三菱造船所に研究所設立を提案し、その初代所長となります。 。
ひので画像なんですが 一枚がアリの巣のように黒く穴あき欠損でてると思います。
その他の北海道、東北は反応継続中です。
スタンバイ待機となります。
地震研究所彙報・第1号表紙 投稿者 投稿日: カテゴリー 所員の研究意欲をかき立てた大きな要因は、研究所発足後の10年間に、大規模な噴火や地震・津波が続発したことでした。 昔は、大きな穴が あいて一目で異常だと分かった画像が多かったですが 最近は分かりにくいですね。
5日程度。
大阪反応は 大阪~和歌山M5注意なんですが 来る時と 来ない時があって不安定です。
彼の弟子であり、地震研究所2代目所長となった石本巳四雄の回想によると、末広の船舶模型の動揺研究を手伝った際に、「工科のような実験になってはいけない」と注意されたというところを見ても、彼が振動工学に基礎を置きながらも、より物理学的な視点に立ち、その点が大森・今村地震学とは異なる新しい研究体制を目指す、寺田寅彦や長岡半太郎たちの指向にかなうところがあったと思われます。
これが酷くなるとホワイトアウトになります。
新しく専任所員を命じられたのは、地震研究に関してはまったくの新人が多数を占めています。 残されている当時の公用封筒には、「東京帝国大学構内 地震研究所」と2行に分かち書きされています。
興味がありましたら、 などをご覧になってみてもよいかと。
投稿者 投稿日: カテゴリー では大規模災害が続く中、実際にはどのような現地調査が行われたのか、具体的に見てみましょう。
また、石本式加速度地震計は、東京大学地震研究所の地震計展示室に展示され、2011年東北地方太平洋沖地震の揺れを記録しています。