「プロ経営者」としての評価が頂点に達した後、一気に下落した日本マクドナルドHD時代を検証してみよう。
近年もコンサート活動は続いていた。
過度の値下げで集客して、その後、値上げするという価格政策のブレから、結局、客離れが進み、業績が悪化した。
2004年にはマクドナルド本社からヘッドハンティングされる形で、日本マクドナルドHDの社長に就任。
更に流出情報を利用した企業を批判するなど、会員から「本当に反省しているのか」と疑われてしまう。 1年間で94万人の会員が解約し、15年3月期の連結最終損益は107億円の赤字に転落した。 アップル社長時代の02年に谷村さんと結婚し、05年に長男が生まれた。
14信頼回復や体制の立て直しはならず、16年5月に退任した。 「実は原田さんがマクドナルドにいた頃、同業者の会合で一緒になったことがあったのです。
それだけに、残念です」 現在、容疑を否認している原田容疑者。
「経営者人生初の挫折を経験した。
その後、04~13年、日本マクドナルド会長兼社長兼CEOなど、14年から2年間、ベネッセホールディングス会長兼社長を務めた。
日本法人の社長としてもアップルのその後の躍進を支えた。
更に店舗の24時間営業化を行うと、これがヒットした。
そして、今回のDV容疑による逮捕が報じられたのだ。
当時のマクドナルドは低価格路線が失敗し、業績が低迷していた。
3期連続の赤字に陥り、事実上クビに。
ベネッセHDでは結果を残すことができず、16年6月に就任からわずか2年で涙ながらに社長を引責辞任している。 (鈴木十朗) あわせて読みたい• しかし、就任直後に3500万件余の個人情報が漏洩した「ベネッセ個人情報流出事件」が発生してしまう。
15「谷村さんは少し前から夫の暴力に悩んで、渋谷署に相談していたそうです。 その素晴らしいキャリアから、まさに経済界のスーパースターのような存在だった。
こうなった以上、夫婦関係の修復は簡単ではないでしょう」(原田家の知人) 「プロ経営者」はいま、最大の難局を迎えたのかもしれない…。
アップルで活躍 原田容疑者は1948(昭和23)年、長崎県佐世保市で出生した。
97年に代表取締役社長、米国アップルコンピュータ社副社長に就任した。
突然の逮捕に経済界が揺れた。 全国紙で「マクド」が確認できたのは、この2紙のみだった。 もはや経営改革どころではなくなった。
13朝日新聞は「元マクドナルド会長」(東京)、「マクドナルド元会長」(大阪、西部)、「マクドナルドの原田元会長」(名古屋)と書きぶりが分かれたが、略さずに「マクドナルド」とした点では共通している。
2014年12月期連結決算は、本業の儲けを示す営業損益が67億円の赤字(その前の期は115億円の黒字)。
その後は家庭を優先し、09年のベストアルバム「タニムラベスト」以来、リリースはしていない。
そのうち8紙(岩手日報、静岡新聞、中日新聞、四国新聞、愛媛新聞、熊本日日新聞、琉球新報、沖縄タイムス)が「日本マクドナルド」または「マクドナルド」を使い、3紙(東京新聞、中国新聞、徳島新聞)が「マック」。
「一番熱心な雇われ社長」 1948年12月3日、長崎県立佐世保市出身。
日本マクドナルドの体質をつくり変えるために、原田を落下傘経営者として送り込んだ。
その素晴らしいキャリアから、まさに経済界のスーパースターのような存在だった。
エンジニアとしてキャリアをスタートさせた原田容疑者は転職を繰り返し、1990年代に業績がどん底だったアップルコンピュータ(現アップル)で、故スティーブ・ジョブズ氏のもと米国の本社副社長として経営改革を断行。
さらに「生涯をかけて誓いを立てた、伴侶との約束を守る。
まさにスティーブ・ジョブス(1955〜2011)の側近の1人だった。 そんななか、今回は谷村自身が通報したことから、事の重大性は大きく、裁判まで持ち込まれれば刑法犯となることも否定できない。 プロ経営者は株価を戻すのが第一義的なミッションなので、どうしてもすぐに結果の出るリストラに走りがちです。
12買いたくない人は乗らなくていい』でした。 原田容疑者は5日、東京都渋谷区の自宅で妻の腕や足を練習用のゴルフクラブで数回殴ったとされる。
突然の逮捕に経済界が揺れた。
原田容疑者はアップル本社の副社長も兼務。
朝日は文中で、原田泳幸容疑者(72)が《自宅で50代の妻に対し、足を殴るなどの暴行を加えた疑いがある》と伝えた。