次の日、アーサーはトーマスの豪邸の前にいた。
失うものが無くなってからは全てが現実:反転する世界 母親という名の枷を外す 病院で母親を自らのてにかける。
マレーの番組で、自分が地下鉄で3人を殺した犯人だと言ったとき、アーサーはこうも言っていました。
これが、 この映画をリアルだと錯覚させる部分です。
この香水が女性物なのか男性物なのかは少し気になりますね。
町の方針で福祉にお金をかけられないということが決まり、彼は薬を得られなくなる。 。 もうカウンセリングも薬も貰うことができない。
幼児虐待やネグレクトを受けながら愛を感じずに育ったアーサーが、成長後もハッピーを感じず生きた物語には、涙が出るとか感動とかそういうのではなく、心の奥深くがゆさぶられて、叫びたくなったほどです(カラオケBOXへGo)。 これは、彼がそのネタを笑ってはいけないと考えていたということ。
あれは自分のジョークを作る研究のために観ているのでしょうが、他の観客たちと笑うポイントが大きく違うんですね。
更に覚醒した後はまだ悪事にも慣れておらず、 覚醒はしても未完成なジョーカー。
このアメコミ映画の絶対条件に関して、ホアキン・フェニックスはこう語ります。
冒頭からして、Tears of a crown(ピエロの涙)を流し、さらには子どもたちにいじめられ、同僚にも馬鹿にされますからね。 正義を信じ続けてきた彼は裏切られ、人の命を奪うような人間になってしまいます。 アーサーは昔病院で監禁されるほどの重症患者(おそらく精神疾患)で、今は大量の薬とこの面談で何とか持ちこたえているのだった。
22.アーサーが"見ているはずのない"光景を回想している ラストシーン、アーサーは手錠をされた手でタバコを吸いながら、目の前の精神科医に笑っている理由を聞かれる。 そうなると、 ブルース・ウェインもアーサーの妄想の産物だったことになり、じゃあその後のバットマンの誕生はどうなるんだっ、ということになるでしょう。
そんなジョーカーの誕生秘話を描く… 正直、ハードルが高いとかそういうレベルじゃねぇ!って話なんですが、本作は、そんな我々の期待を裏切ることなく、真正面からジョーカーに挑戦し、そして、見事成し遂げた作品です。
で、これってチャップリンが 「悲劇を喜劇」に見せたのと逆。
バットマンなら、両親を目の前で殺されて。
見て損した。 つまり、生放送中にマーレイを射殺した後、逮捕されて精神病院に送られた…ということですね。
ここの 非現実感は鑑賞しながら気になっていました。
本当なのか?と聞くマレー。
そういった、新たな疑問が湧いてくるのだ。
アーサーは尊敬するコメディアンに屈辱されたのだった。
「彼」とは、厳密に言うと、ジョーカーではなくアーサーのほうですが。 つまり、彼自信はもともと「優しい人」ということが描かれています。
コメディアンになりたいアーサーは、『HAHAプロダクション』に所属し、ピエロとしていろんなお店や施設に派遣されている。
ここで初めて結束して警官に集団で襲い掛かるのです。
思えばエレベーターで ソフィーが頭を撃つふりした以降が、アーサーだけの妄想だったのでしょう。
この作品はメタ的に「映画全体が嘘、ジョーク」という見方も出来ます。 US版の予告動画ではアーサーが路上で大道芸を披露していると、若者たちの妨害に遭い、奪われた大道芸の道具を取り返そうと追いかけると、返り討ちにひどい暴力を受けるシーンや、地下鉄でジョーカーメイクをして座っていると、乗り合わせたビジネスマンに因縁をつけられ、やはり暴力をふるわれるシーンが出てきます。
1もうアーサーには何もなかった。
すると敷地の中に1人の少年が。
あのジョーカーを 「可哀想な人」という描き方をしてしまうんじゃないかと。
じゃあ、ジョーカーになってから悪になった?アーサーがジョーカーになったタイミングって、どこだっけ?人殺しは、悪。
下半期では一番の注目作なんじゃないかと。 わかりやすいのは、マーレイ()が司会を務めるTV番組を見ていると、アーサー自身もその番組に出演して喝さいを浴びる…というシーン。
… となると、『ジョーカー』における善悪の倫理観は一体どのように展開されて行くのでしょうか。
それに、カウンセラーとの会話中に「ウェイン夫妻の射殺シーン」が挿入されますが、過去のシーンだとすれば何故そんな 「未来に起きる出来事」が映るのか?など、色々腑に落ちない点があるのです。
母親による虐待の傍観 恐らくアーサーは自分の障害を先天的なものと把握していたように思えるが、実はそれが虐待によるものだったという事実。