主人は「抗がん剤はいやだ」としきりに言っていましたが、私は再発が怖いからやってほしいとお願いをしていました。 母には、がんだということは伏せて、盲腸で手術するということにしました。
とにかくポジティブな気持ちでいることを心がけてます。
Mさん:話し合った結果、 「抗がん剤治療がお休みで、体調がいい日は一緒に買い物などに出かける」「治療の方針は先生と妻の言うことを聞いて、文句は言わない」と約束しました。
今後の治療方針の説明が先生からありましたが、疑問や主人の体の負担についてなど、とにかく少しでも疑問に思ったことは、質問するようにしました。
女性の方は「正」(トイレの回数)が異常に多く、他の方は12回前後で看護師のOKをもらった。 最近やけに寒くなってきて、体中ガタが来ている年頃なので、けっこう応えます。 今は手術から2年、まだまだ油断はできません。
133時間以上経過していた。 私は医療従事者でも無いどこにでもいる中小企業の営業マンで、医療的な知識はありません。
このへんが一番つらい時間帯だった。
主治医が「どうしても話せないなら、私が話をします」と仰ってくれましたが、夫として、私が話しますと告げました。
「困ったな」と言われたものの、「とにかくゆっくり治せ」と言われ、年始から2か月間、休職することに。
うちは妻が専業で、体が悪い僕の母を家でみてくれていたので、働くことはできません。 これも私にとって立ち直るために必要なことなのかもしれません。
無意識にいつもと違う場所に入れてしまったようです。
下腹部の傷口が痛い(当然か)。
2週間たったころ、朝方急にお腹が痛み出しました。
11月の検査では腫瘍マーカーも目に見えて下がりました。 一緒に話を聞いていた妻はただただ泣いていました。
腸内カメラの検査はだいたい30分で終えるが、私は1か所ポリープが見つかり、ついでに切除してもらった。
精密検査は必ず受けましょう。
母の体調は昨日から変化はないそう。
妻と過ごした最後の数ヶ月は一生分の愛情を注げたと、今は思えます。 腫瘍マーカーの数値は半分、腫瘍も縮小、体調は絶好調 がんサイダー. ステージ3b・夫婦で挑んだ再発との闘い ステージ3の大腸がんを乗り越えたと思ったらまさかの再発。
代替治療がよかったのかはわかりませんが、この頃から、少し抗がん剤の副作用も楽になってきて、当初の予定の3クールが終了し、ちょっとずつではありますが、仕事にも復帰することができました。
鎮静をかける前、これまでお世話になった人たちにお礼を言い残し、鎮静をかけていきました。
16:00に病室に行きました。
スポンサーリンク そして、翌日の手術の説明を聞くため先生の所へ。 ・男性のうち、11人に1人が一生のうち、大腸がんと診断される。
あわせてお読み下さい。
Mさん:その姿がすごく頼もしかったのを覚えています。
今後もHさんの生の声をお届けする予定です。
心配かけまいとしたんでしょうけど…。
奥さん:私もいつがんになるかわかりません。 退院してからも、口中にできる口内炎、2週目くらいからは脱毛も始まりました。
すると 腫瘍はほぼ無くなってました… 内視鏡技師の先生も 「うわ~見事に無くなっているね~すごい!!」 と、嬉しくなる事を言ってくれました。
手術と余命宣告 手術は悲しいことに1時間弱で終わりました。
特に、大きく変わったのは、食生活だといいます。