十一面観音の面は頭上だけでなく、頭の側面にもある通常とは違った配置です。 狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)… 行いの良い人を励まし仏道に向かわせる表情、頭部右に3面• 実際に向源寺の境内には、「御尊像埋伏之地」という石碑が建立されている。 その中の渡岸寺観音堂に祀られているのが、日本一美しいと言われる国宝十一面観音菩薩像です。
一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)• 「観音(人々の声を広く聞き、見る)菩薩(修行中の仏さま)」の一種。
一方、真言宗豊山派総本山長谷寺本尊の十一面観音像は、左手には通常通り蓮華を生けた花瓶を持っているが、右手には大錫杖を持ち、岩の上に立っているのが最大の特徴で、豊山派の多くの寺院に安置された十一面観音像はこの像容となっているため、通常の十一面観音像と区別して「大和長谷寺型観音」と呼ばれている。
上の動画をみても分かるように、 爆笑している顔は 十一観音像の真後ろにあるため、なかなか見ることはできない。
頭上の11面のうち、前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。
訪れた際はぜひ、その美貌をしっかりと目に焼き付けてくれ。 檜は「火の木」ともいわれ、陽運を起こす縁起の良い陽木(天に向かってまっすぐ伸びる)ですから一般寺院のご本尊、会社事務所や一般家庭のお仏壇などには最適です。
13おっと、本題に戻そう。
入り口にあたる仁王門の前の、通行を妨げるかのように斜めに立つ松の木が印象的だ。
十一面観音で、たたる神である疫神との関係を一番よく物語る仏像に、奈良・長谷寺の本尊、重要文化財「十一面観音立像」(現存の像は室町時代)がある。
奥行きの深い瞑想の世界。
細身の体つきではあるものの、両臂(ひじ)を外に張って腕をゆったりと下ろす動きには、平安初期の充実した気風が感じられる。 牙を剥いている面。 日本彫刻の最高傑作、東京で初公開 奈良県桜井市にある聖林寺の国宝 十 じゅう 一 いち 面 めん 観 かん 音 のん 菩 ぼ 薩 さつ 立 りゅう 像 ぞう は天平彫刻の名品で、日本を代表する仏像の一つです。
3年半前の東京では、たくさんの観客のなかの一人として、まるで満員電車のなかで押し合いへしあいするようにしながら見た観音像を、今は誰もいない堂内で私一人が独占している。 平安時代前期に鎮護国家のために聖武天皇の勅願で制作された観音さまです。
これはこの観音が阿弥陀如来の化身だということを示しています。
京都・像• 真後ろに置かれ笑った顔の小面。
何の期待感もなしに立ち寄った湖北地方のとある寺だった。
結んだ唇の間から牙を現し、行いの浄らかな衆生を励まして仏道を勧める、讃嘆の表情。 この岩が観音の浄土である補陀落山(ふだらくさん)と繋がっているのだと言われています。
そして観音さまはハスの台座にではなく、大きな四角い岩の上に立っています。
大阪・像• 十一面観音の化身(垂迹)とされる神• 十一面ある小面に目を向けてみると、正面に立つ菩薩の全身像を手始めとして、左右に3面ずつの小面が配置されている。
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の元神宮寺の伝来)京都・観音寺像(国宝)、奈良・像(重文)などがある。
見る人をして心のうちで跪かせるような強力な力が、このお堂の内部に漲っているように感じられた。 不非命中夭(不慮の事故で死なない) 四種功德• 以降、聖林寺でも秘仏として受け継いだのですが、1886年に美術研究家の 岡倉天心と フェノロサが調査に訪れたことをきっかけに公の目にふれることになります。 初めて訪れた時には拝観終了間際の時間帯であったため、周囲の建造物を見る心の余裕がなかった。
人間復興という日本語訳にはそぐわないが、ルネサンス期のイタリア彫刻に比してもけっして引けを取らない美しい像を創り上げた湖北地方の文化を、尊敬の念と誇りとを込めて日本のルネサンスと称したのだろう。
その昔、京都に都があり、 都からみて北東の鬼門に己高山が位置していた。
湖北の仏像にふれあうお話がたくさん聞けました。
仏像との不思議な縁を感じざるを得ない。
中国・唐代の小檀像の影響を受けた緻密な彫技が認められるが、装身具の一部などに別材製のものを貼り付け、頭髪に乾漆(かんしつ)を盛るなど、唐の作例にはみられない技法が採用されており、日本国内での制作とする意見が定説化している。 「仏身」をとれる事じたいが、観音菩薩が既に仏の範疇にある証とする見解もある(水野弘元『仏教要語の基礎知識』)。
見ている人の心を落ち着かせるどっしりとした安定感。
奈良・像• その気持ちが落ち着いたところで、お顔等を拝見しますと、南山城のどこかでお目にかかったような気がしてまいります。
服装はきらびやかで、ネックレスやイヤリングなどの装飾品を付けています。
しかし密教経典『千手千眼観自在菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼經』に収録された「大悲心陀羅尼」は宗でも広く唱えられている。 後に「ラージャ」をつけると菩薩時代の阿弥陀如来(法蔵菩薩)の師匠「世自在王仏」のサンスクリット名になる。
6そもそも十一面観音は、7世紀の末に日本へ渡り、8世紀になって「十一面 悔過 ( けか )」という儀式が行われ、十一面信仰が日本に根付いた。 段ごとではなく、右側、正面側、左側、後ろ側、という形でそれぞれの種類の顔の配列がなされている。
360度ぐるっと観音様の顔がみれる配置になっており、なんと 暴悪大笑面にはスポットライトが当たっているというから、満足するまで拝めるというわけだ。
都が 遷 ( うつ )った奈良時代から平安時代の世情が穏やかならない時期に、非常に迫力のある仏像が生まれた。
経過した時の重さを感じさせる観音堂は、純朴な観音像に最もフィットした舞台だったのではないだろうか。