第149回 「爪と目」• 2004年「シンセミア」で伊藤整文学賞、毎日出版文化賞。 97年の「インディヴィジュアル・プロジェクション」が若者の共感を得、「J文学」という言葉を生んだ。 最近まで、何がすごいのか分からなかった。
第117回 「水滴」• この書評では、さしあたり1点だけに注目して、阿部作品における本作の「語り」の変質の問題について、彼の映像論との関連から考えてみたい。
とはいえ、インテリたちから寵愛を受けているからといって、作風が難解なわけでは決してない。
演出助手を経て執筆活動をはじめ、『アメリカの夜』で群像新人文学賞を受賞して阿部和重は作家デビューしました。
第161回 「むらさきのスカートの女」• 初出:(〈新潮〉2001年6月号)• 擬似ドキュメンタリー的な作品は、そのスタイルや演出を個別にうんぬんされるものにとどまらず、絶えずこの「現実」というプラットフォームそのものとあいまいに紐づけられ、それに「いいね!」やリツイートをつけあってコミュニケーションするひとびとの日常と地続きになっている。
阿部は『わかれ道』を担当。 この国を覆い尽くす狂気を抜群のユーモアとドライブ感で描破し、野間文芸新人賞に輝いた傑作作品集。 現実の出来事や事件をダイレクトに作中に取り入れながら書いてきた小説家として、あの出来事をどう扱えばいいのかは大きな問題でした。
2公爵夫人邸の午後のパーティ 隠された意味の仮装を剥ぐ。
作品を経過した時間の果てに、かすかな希望が漂うのもこの二編に共通している。
テレビアニメ版「」のファンを公言し、『ニッポニアニッポン』では同作品の主人公の名前をもじった「本木桜」を、またテレビアニメ「」のヒロインの一人・瀬川おんぷをもじった「瀬川文緒」を登場させている。
好きな女優は。
人物 [ ]• 他の作家なら根も葉もない嘘だろうということで片づけられるのだが、阿部和重だったら本当に書き込みかねない。 映画学校時代からの付き合いで、バイトも同じだが唯生は「敵」と認識している武藤が、唯生がその「異様なほどに緊張感に満て」いる演技に心惹かれるツユミと唯生を主役に映画を撮ると言い出す。
最近は後藤真希の件はあまり触れなくなった。
その最大の出来事は東日本大震災です。
そのためにはすぐに阿部和重作品を読みたい気持ちを抑制して福永信の文章を読む。
1 デビュー10周年を機に放つ初の映画論集。 相葉・井之原の旧友コンビに犬のポンセが加わり、強大な組織を相手にしたアクションあり、スリリングな展開ありのジェットコースターストーリーです。 でも案外覚醒剤所持で逮捕されるだけだったりして。
1968年山形県生まれ。
この短編集が重要なのは、作品の透明度が高く、深い底までよく見えることである。
「アメリカの夜」「ABC戦争」ともに蓮實重彦 はすみしげひこ により高い評価を受ける。
『』を手掛かりに、唯生は再びが「騎士」から「人間」へと還ったことや、が鏡の前で「型」から「日常性」を取り戻すことについて考えるが、堂々巡りのような気がした。
『Orga ni sm』と「擬似ドキュメンタリー」問題 もちろん、『Orga ni sm』をめぐる「語り」の変質については、さまざまな論者によって、さらには作者自身によってもすでに充分に語られてきている。
15授業で文学作品を採り上げる時に、先生は「この作品からは、ある困難に直面した人間の苦悩がリアルに描かれている」というようなことをよく言います。 【福原】 ボランティアで小さい子どもたちに読み聞かせをするというようなところから始めるということもあります。
そんな二人が再会し、お互いの現状を打破しようともがきます。
第112回 該当作品なし• 先生は経済学者だが文学や映画、思想にも造詣が深く、勉強の良くできない僕は経済学の話よりも本や社会現象などの話を先生と良くしていた。
の評論「『プラスティック・ソウル』リサイクル」も収録。
さらにいえば、放射能汚染の問題も『ミステリアスセッティング』に出てくるスーツケース型の小型核爆弾からつなげられる。 その中で見えてくるリアリティは技法でしかない。 徹底的に人為的に構築された「作品世界」と、人工的な市街地である「渋谷」とを重ねあわせるその手法とともに、私小説的な伝統から切断されたまったく新しいタイプの書き手として評価される。
13「水垣鉄四」は「烏谷青磁」に強制され、パーツの獲得に奔走する。
『』1997年、、のち文庫、解説は。
当時の選評としては、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』と比したうえで「大変力量のある人が出てきたことを喜ぶ」と絶賛した柄谷行人をはじめとしておおむね好評であった。
阿部 とはいっても、現実にいろんなことが起こり、そのつど対応を迫られたことはもちろんあります。