【他出】御裳濯河歌合、西行家集、玄玉集、自讃歌、定家十体(有心様)、撰集抄、歌枕名寄、三五記、愚見抄、桐火桶、六華集、耕雲口伝、心敬私語、西行物語 【参考歌】「後拾遺集」 心あらむ人に見せばや津の国の難波わたりの春のけしきを 徳大寺実定「新古今集」(先後関係は不明) 朽ちにける長柄の橋を来てみれば葦の枯葉に秋風ぞふく 冬歌よみけるに さびしさに 堪 たへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里 (513) [新古627] 【通釈】寂しさに耐えている人が私のほかにもいればよいな。
17「慕ふ」にかかる。 弟に仲清がいる。
去年から心待ちにしていた映画、 花束みたいな恋をした。
そんな大切な花束があるから、 今の私が感じられるしあわせ、 大切にしたい人がいる。
どこかで芽の出る音がする。
それが私の悩みだ 私があまりに多くの彩られた仮面をかぶって あまりに巧みに演じる仕方や、 自分や他人をあまりにうまくたばかる仕方を覚えたこと、 それが私の悩みだ。 未来は、世界成就は、 もう彼を必要としないのだ。
だけど枯れてしまっても、そこに美しい花が咲いていたことは忘れない。
空の中、君たちの頭上に高く にわとこが咲き、 それが夏の夜を暖かい匂いを放って 君たちの場所の上で華々 はなばなしく燃えようとも、 そんなことはもう君たちにはたくさんだ。
㉖『ゆさゆさと 大枝ゆるゝ(る) 桜かな』 作者:村上鬼城 季語:桜 意味:ゆさゆさと大きな枝がゆれている、そんな花盛りの桜の木であることですよ。
それならば新しい毎日は、私に 新しい友らや新しい兄弟たちを見せなくてはならない、 私が苦痛を感ぜずにあらゆる力を称讃し、 すべての星の客となり友となることができるようになるまで。 西行は花の歌によって「我が心」「我が身」を見つめ続け、またその二つの関わり方を注視し続けて飽きなかった。
11『西行法師家集』の詞書は「遠近に雁を聞くといふことを」、新古今集は「題しらず」。
文治四年 1188 俊成が撰しに奏覧した『千載集』には円位法師の名で入集、十八首を採られた。
それは正午の輝きの中にあたりいちめん 青い海がきらきら光って横たわり、 遠くで白い帆をあやつっている一艘の舟の その帆が私の疲れたあこがれを故郷のほう運ぶ時に、 ほそい櫂オールに身をまかせて揺られていること。
GARNET CROW 春待つ花のように 作詞:AZUKI 七 作曲:中村由利 哀しみのOphelia燦然と輝いた愛の言葉に 心躍らせてまだみえない未来つくりあげてただ信じていた 共に愛しあった互い想いながら何故にすれ違う 深い悲しみは至福 しあわせ を糧に育つもの… 心には手のひらを返すように裏切るくせがあり 今自分のものでさえ持て余しては途方に暮れる 春待つ花のように ひたむきに生きることできるなら もう一度君に出逢いたいよ 愛しすぎぬようにそっと季節を巡らせて 風にゆれる波が誘うあの海へと続くこの河 君が好きだった夕暮れにあかく染まってく もっと沢山の歌詞は 心には刻まれた痛みを忘れられぬこともあり 目の前のものでさえ信じられず揺らいでいるよ 春待つ花のように この冬をこえること叶うなら 君のいない何処か遠い空の下 もと へ飛んでゆきたい 忘れること出来ぬのなら 春待つ花のように ひたすらに空へ向かえるなら 雨の降る日々も永い夢の一日となるでしょう 涙隠すための 春待つ花のように ひたむきに生きることできるなら もう一度君に出逢いたいよ 愛しすぎぬようにそっと季節を巡らせて. 霧の中をさすらうことのふしぎさよ! 生きるということは孤独であるということだ。
月と紅葉の名所。 【補記】牽牛・織女が一夜を共にした翌朝であるから、自分も後朝 きぬぎぬ を擬装して庭の朝露を踏んだ跡を付けておこうというのである。 Giorgione 我が母に お話したいことがたくさんありました。
10【他出】山家心中集、御裳濯河歌合、西行家集、御裳濯和歌集 【本歌】「後撰集」 我ならぬ草葉もものは思ひけり袖より外における白露 月 播磨潟 はりまがたなだのみ沖に漕ぎ出でてあたり思はぬ月をながめむ (311) 【通釈】播磨潟の灘の沖に舟で漕ぎ出て、周囲を気にする必要のない月を心ゆくまで眺めよう。 【他出】西行物語 東山にて人々年の暮に思ひを述べけるに 年暮れしそのいとなみは忘られてあらぬ様なるいそぎをぞする (574) [玉葉2060] 【通釈】年が暮れた、その時の恒例の行事は忘れてしまって、 出家した今は昔と異なるさまの正月の準備をするのだ。
【他出】宮河歌合、山家心中集、西行家集 恋百十首 (二首) 逢ふまでの命もがなと思ひしはくやしかりける我が心かな (1269) [新古1155] 【通釈】あの人と逢うまでは命を永らえたいと思ったのは、今にしてみれば浅はかで、悔やまれる我が心であったよ。
しばしば私の魂はあこがれの翼に乗って翔 かけのぼる、 至福な人類の未来の姿を見ようとして、 愛を、民族から民族への愛を、獲得されたその掟 おきてを見ようとして。
もったいない。
それでもこれを読んでいると ふしぎにも胸の痛みが忘られて行くようです。 掲出歌は「苔の下水」という幽かな上にも幽かな水流に焦点をあて、細やかに感覚をはたらかせつつ、水が「道を求む」と言って、自然に意志があると見なし、力動感ある春の始まりの時を描き出した。
俊成は『御裳濯河歌合』の判詞で「宮木野の原思ひやれる心、猶をかしく聞こゆ」と評し勝を付けた。
「それは私だよ、私だよ、子供。
【他出】山家心中集、西行家集 【参考歌】よみ人しらず「古今集」 あはれてふ言 こと だになくは何をかは恋の乱れの束ね緒にせむ (大意:乱れた心をもとの状態に収めるのは、あの人の「いとしい」という言葉しかない。
Weisse Wolken 野をこえて 空こえて雲はゆき、 野をこえて風はすぎ、 野をこえてわが母の 放蕩ほうとうの児こはさすらう。
歌枕「山田の原」への思い入れを共有せずして、この歌の深い心は解り難い。 【他出】御裳濯河歌合、西行家集、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、八代集秀逸、時代不同歌合、六華集、題林愚抄 【主な派生歌】 もよほすもなぐさむもただ心からながむる月をなどかこつらん 思ひやるそなたの空もしぐるなりかこちがほなる雲の色かな ともすればかこちがほなる涙かな老となる身は人のとがかは 禅心[続後拾遺] つらかりし人ならなくに打佗びてかこちがほなる秋の夕ぐれ くまもなき折しも人を思ひ出でて心と月をやつしつるかな (644) [新古1268] 【通釈】隈もなく照っている折しも、恋しい人を思い出して、自分の心からせっかくの明月をみすぼらしくしてしまったよ。 そして疲れた目をとじて、 かなた夢の国の 母のもとへ私は行きたい。
4奈良の野には、あしびの花がきれいに咲き、あふれるような春の日ざしがふりそそいでいました。
空の遥か彼方に見た月の光を、涙に濡れた我が袂に宿すことになろうとは。
『御裳濯河歌合』の俊成の判詞は「殊に甘心す」と絶賛し勝を付ける。
一例として、岩波新古典大系の『新古今和歌集』では「今までねじれ細くなっていた」と解する。
上弦・下弦の月。 【他出】山家心中集、西行家集、西行物語、題林愚抄 年の暮に、人のもとへつかはしける おのづから言はぬを慕ふ人やあるとやすらふほどに年の暮れぬる (576) [新古691] 【通釈】言葉をかけない私を、ひょっとして、慕ってくれる人もあるかと、ためらっているうちに、年が暮れてしまいました。
播磨灘は兵庫県の南、淡路島と小豆島に挟まれた、瀬戸内海東部の海域。
ゆえに、『かなしかるべし』と推量形で歌っているのである」(石田吉貞『隠者の文学』)。
そうして雨が降り、雪が降るだろう。