率先して若手を育成してきた人らしく、「演奏すること、書くこと、パフォーマンスができる人たちは、そうしてほしい」と、最後まで後進を鼓舞した。 コリア氏は50年を超えるキャリアの中で、ディジー・ガレスピーやハービー・マン、マイルス・デイビスといったジャズの巨匠と共演した。
「私とともに旅をして、音楽の火が燃え続けるのを助けてくれた人たちに感謝したい。
あなた自身のためでなくても、ほかの人々のためにそうしてほしい。
1941年6月、米東部マサチューセッツ州チェルシー生まれ。
1941年6月、米東部マサチューセッツ州チェルシー生まれ。
同氏のフェイスブック、公式HPで明らかにされた。
R&Bの歌手チャカ・カーン氏と共演したこともある。
世界にはもっとアーティストが必要だというだけでなく、単に本当に楽しいものなのだから」とつづっている。
ラテン、クラシックなど幅広いジャンルを取り入れ、作曲も数多い。
テナーサックス奏者の故スタン・ゲッツらと共演し、ジャズピアニストのハービー・ハンコック氏とライブ盤もリリースした。 ジャズトランペット奏者だった父の影響でピアノを始めた。 その後も、作曲家やバンドリーダーとしてジャズの枠にとらわれない作品を次々と発表し、アメリカ音楽界で最高の栄誉とされるグラミー賞をこれまでに23回、受賞しています。
「作品や数十年にわたる世界ツアーを通じ、数百万人に感動とインスピレーションを与えた」と振り返った。
(共同). (CNN) 著名な米ジャズピアニストで、作曲家でもあったチック・コリア氏ががんのため死去した。
自分のためでなくても、他の人々のために。
40歳近く離れた上原さんとはたびたび共演し、08年1月に連名のアルバム「デュエット」を発表。
声明によると、最近になって「珍しい型のがん」が見つかっていたという。 東部マサチューセッツ州出身。 71~78年は、ベーシストのスタンリー・クラークらとともにバンド「リターン・トゥ・フォーエバー」を率い、同名のアルバムは70年代のジャズを代表する1枚となった。
多作で知られ、グラミー賞は今年3月の発表分も含め67回ノミネートされ、23回受賞した。 1941年、米ボストン近郊生まれ。
ゆっくり休んでください」と投稿した。
「リターン・トゥ・フォーエバー」などの名アルバムを残した。
同ページによると、死因は「ごく最近見つかった珍しい形態のがん」としている。
79歳だった。
私の願いは、演奏や制作、パフォーマンスなどをしたいという気持ちがある人には、それをしてほしいということ。
NEAはコリアさんを「ハービー・ハンコックやキース・ジャレットと並ぶ卓越したピアニストの一人」と評している。
「スペイン()」や「500マイルズ・ハイ()」、「ラ・フィエスタ()」といったジャズの名曲を世に送り出したコリア氏は、ハービー・ハンコック()氏やキース・ジャレット()氏と並んで20世紀を代表するピアニストの一人となった。
今でも世界中でカバーされている「スペイン」などを作曲した。 日本のジャズピアニスト、上原ひろみさんや小曽根真さんらとの共演でも知られ、近年まで来日公演を行っていた。 本人の公式フェイスブックで11日公表された。
10米メディアは南部フロリダ州タンパの自宅で亡くなったと伝えた。 アルバム「In a Silent Way」「Bitches Brew」に参加して話題を集めた。
79歳だった。
モンゴ・サンタマリア楽団やハービー・マン(フルート)、スタン・ゲッツ(サックス)らのグループを経て68年、マイルス・デイビス(トランペット)のグループに参加。
4歳でピアノを習い始めた。