手もかかりましたが本当に楽しんだ車でした。 軽量化についてもリヤシートを外しているくらいで、ボディはほぼノーマル状態だ。
開発当初からの目標でもあったラリーへ参戦し、1992年にスウェディッシュラリーで総合3位を獲得するも、エンジンの排熱をはじめ多くの問題が浮上し、さらに日産の経営不振と重なったこともあり僅か2年で撤退してしまう。
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実はこの順位が、パルサーGTI-Rの最高位となった。
(ある意味ヤバめ)な光景、 一度は自分の目で確かめてみたいと思いませんか? こちらのサイトは告知や報告がメインで更新は少なめですが、 もし興味を持たれた方は気軽に に書き込みいただくか、 (クラブ代表宛)にてご連絡下さい。 そんなパルサーGTI-Rは、消えてしまうには実に惜しい車だと思います。
17当時読んだスピードマインドという雑誌でパルサーのN1耐久仕様がフロント8kリヤ14kという記事を読んで、これしかない、と組んだのでした。
盗難防止装置• 横滑り防止装置• そして日産は早々にWRCから撤退し、力のそそぐ方向をル・マン24時間へシフトしました。
500psをオーバーした途端ブローすることが増えたミッションは、これまで数え切れないほど載せ換えられてきた。
駆動メカについては、ビスカスカップリング付きセンターデフ式フルタイム4WDであるアテーサ(ATTESA。
プライベーターによるラリー参戦車両になったこともあり、ラリーフィールドでのスポーティーなイメージが付きました。
そのためGTI-Rに適した設計をしきれなかったのではないか……、個人的にはそこに因果を感じてしまいます。
このクルマの成り立ちについては有名な話ですのでここでは端折りますが、今思えば 全体的に無理をしているなぁと印象は拭えません。
ジャングルジムのようなロールケージと、恐ろしい数の追加メーター&コントローラーが覆い尽くす室内。
そんな決意を固めた日産のスタッフおよびモータースポーツ部隊は、WRCグループAに本格参戦するラリーマシンの開発に鋭意取り組み始める。
95年にパルサーは5代目にフルモデルチェンジ。 インテリアに関しては操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシート、3連スポーツメーター(油圧計/油温計/ブースト計)などを奢る。
衝突被害軽減システム• ノーマル状態でもスカイラインGTS-t、シルビアK'sなどの2リッターターボ車の多くを置き去りに出来るパワーで、高速道路などは面白くて仕方がなかったです。
オートマチックハイビーム• ランフラットタイヤ• Photo by そしてパルサーの主戦場でもあったヨーロッパではF1に並ぶほどWRCの人気が高く、活躍すると知名度が上がり売り上げにも貢献するという事実もあり、そこへスポーティな性格を持つパルサーを投入するのは必然でもあり当然のことと言えました。
でも、もうほとんど見かける機会はありませんし、ワンオーナー、走行5万5000kmであることを鑑みれば、やむを得ないでしょう。
N14型パルサー GTI-Rは、旧プリンス自動車と日産の時代を超えたコラボモデルであり、当時の日産モータースポーツの技術の結晶だったのです。 バックカメラ• 153のクロスレシオ仕様も用意する。 ホイールベースの短いパルサーでここまでのパワーを絞り出すと、全開加速で車体が左右に暴れる。
14ハーフレザーシート• GTI-RはグループAのホモロゲーションモデルだったわけです。
エクステリアも、ボンネットの大型のパワーバジルと、巨大なリヤテールスポイラーが目を引いた。
DVD再生 AV機器• LEDヘッドランプ• 今度はボディーがやや大型化し、車種も整理されて、活気を失ってしまった感がある。
これはNOSのセッティングが決まっていて、全体的にパワーとトルクが底上げされている証拠なのだろう。
ブルーレイ再生• チェリーは前述したように、プリンス自動車が開発し、その性能やスポーティーさ、人馬一体感は折り紙付き。 日産パルサー GTI-Rの歴史 日産パルサーGTI-Rの誕生 1990年、日産パルサーのモデルチェンジに伴い、グレードが11種類用意されました。 。
ストリートユースのチューンドでありながら、ここまでスパルタンな仕様も珍しいだろう。
ラリーだけでなく、スーパー耐久の前身、N1耐久レースやプロダクションレースにも出場している。
テストドライブを担当したDaiこと稲田大二郎は「レブ8000rpmまでの吹け上がりは実にスムーズ。
ブレーキはプロジェクトミューのキャリパーキットで武装している。
クリーンディーゼル 内装• 燃料タンク内のポンプはニスモ製に交換、ハイブースト時の燃圧低下対策としてボッシュ製ポンプを追加する。 日産パルサー・パルサーGTI-Rってどんな車? 日産パルサー 「日産パルサー」は、日産自動車が1978年から2000年まで販売していた小型乗用車です。 敗因は、重量配分の悪さ。
また、四連スロットルをはじめ、エンジン系のパーツは、同じSRエンジンを積むシルビアのチューニングパーツとして重宝されていた。 足回りは、サスペンションを専用チューン。
また、ボディ各部に専用デザインのエアロパーツを装着した。
このレースでは総合5位と7位を獲得し、上々の滑り出しとなる。
あくまでもストリート仕様のため、エアコンやオーディオは残されている。
少なくともノーマルのR32GT-R、ランエボ、インプレッサより速かったし、未だにこれ以上パワーのある車には乗ったことがありません。 ブーストはブリッツのTwin-SBCで1. 当時の写真がどっかに無かったかな? 今度実家に行った時にでも探してみようっと。 パワーステアリング• アフターパーツがなく、純正流用でローギヤード方向にしか振れないミッションのギヤ比とファイナル比。
このランチアデルタの成功を目にして、「ラリーの日産」の復権を目指して開発されたのが、パルサーGTI-R。 エアロ下部にはカーボンを貼り込んで強度を確保するなど、細部まで拘りが詰まっている。
GTI-Rのエンジンは低回転はトルクがないのですが3000rpmくらいから加速感が増し5000rpmをピークに7000rpmまでパワーが続く感じでした。
0kg-mでした。
それが日産 チェリーで、日産 パルサーの直接的な先代モデルです。
ツインエグゾースト、カーボンファイバー製リアスポイラー、フェンダーエクステンションも装備された。 組み合わせるトランスミッションは専用セッティングの5速MTで、シンクロ容量のアップやクラッチの強化などを実施する。 これに230psの2Lターボエンジンですから凄いです 当該中古車、新車時価格が240万円前後だったことを踏まえると、新車時登録から20年が経過して総額152. 早いもので正月休みから1週間が経過し、3連休に突入。
6しかも下のトルクがないといっても実はアイドリング付近のトルクが結構あって粘り強く、発進が実に楽でした。
しかし、グループNや国内ラリーのカテゴリーでは多くのプライベーターに高く支持され、成績面でもWRCグループAをはるかに凌ぐ好結果を残す。
クオリティは折り紙付きなのだ。
ヘッドには東名パワードのハイカム IN&EX272度 12. ルーフレール• 室内は、セーフティ21の5点式ロールバーとニスモタワーバーが装着されているのみで、それ以外これといった補強はなされていない。