センバツに向け選手を指導する島田監督(中央) 【気になるアノ人を追跡調査!野球探偵の備忘録(61)】神宮大会枠を持ち帰った明徳義塾の奮闘もあり、今春センバツ(23日開幕)で3年連続となる同一県2校出場が決まった高知高。 。 だが、当時の高知高に上田勝という選手は在籍しておらず、実はまったくのデマ。
秋の県大会では負けたけど、そのシード権を決める試合では勝ってるので、1勝1敗。 178センチ、76キロ。
逆転出場となった状況はあの夏と似る。
「とにかくグラウンドに立っていい状態じゃなかった。
ネットを中心に、こんなニュースが拡散されたのだ。
後輩ナインへ、山本はこうエールを送る。 (ただし、表記変更した理由など「おことわり」は両新聞ともにありません。 チームメートから電話がかかってきて『おい、テレビ見てみろ! 甲子園に出れっかもしれんがや』と。
19厳しい練習から解放され、思い思いに夏休みを謳歌していたナインの状況が変わったのは、甲子園開幕も間近に迫った8月4日。 不安だったんですよ、正直なところ。
同校野球部の宮岡部長、馬淵監督が責任を取って辞任した。
このままじゃウチらまでやり玉に挙げられると、急いでバリカンと黒染めを買ってきて、何とか球児らしく取り繕いましたよ(笑い)」 現在の勝賀瀬は同校コーチとして、選手に厳しいゲキを飛ばす立場だ。
センバツでは去年の大阪対決みたいに、決勝で借りを返したい」と力強く意気込んだ。
逆転出場の話? それはお互いにしづらかったですけどね(笑い)」 今春センバツは秋季大会の結果から出場が不安視されたなかで、まさかの選出。 「あのときほど人のありがたみを感じたことはない。 高校時代はなれ合うことのないライバル同士だったが、そこで意気投合したという。
1(高知商-明徳義塾戦より、28日・高知球場) 高知新聞もこれにあわせて変更に。
さらに同年5月から7月にかけ3年生と2年生の部員6人が1年生部員に対し、暴力行為を働いていたという。
千葉の大学に進んだ山本は、練習試合で明徳義塾の選手と再会。
高知高では3年春に甲子園出場。
「抽選会のときには『(明徳が)よりによって日大三と当たってるよ! これで馬淵さんの初戦連続勝利もストップや』とか笑ってたら、いやいや俺んとこにくんのかい!って(笑い)。 染めてるやつもいましたから。
右投げ右打ち。
同校は高野連に報告しておらず、匿名の情報提供により事実関係が発覚。
その後、高知中の監督を経て2004年冬に高知高の監督に就任する。
今回は(明徳義塾監督の)馬淵さんに頭が上がりません」と話す。
大慌てで準備を整え、甲子園に向かった高知高だが、ここに来てさらなる騒動が舞い込む。
「向こうから話しかけてくれて。
明徳義塾にシング・アンドリューという選手がいます。
『何バカなこと言ってんだ』と思いながらテレビをつけたら、ちょうど(明徳義塾監督の)馬淵さんが謝罪会見をしてるところで。 同年4月から7月にかけ、同校の野球部員11人が野球部寮内で喫煙。 R:ランク・B1:優勝回数・B2:準優勝回数・B4:ベスト4進出回数・B8:ベスト8進出回数• 一発目が強烈すぎて。
14島内優成主将(2年)は「最初は出れないと思ってたけど、明徳が神宮枠を持って帰ってきてくれた。 2005年夏の高知大会決勝、高知高は確かに一度敗れた。
(明徳義塾-岡豊戦より、26日・高知球場) ところが、選手交代があってもスコアボードが代わらない(代えられない?)不具合があり、スコアボードの選手名表記が、ファミリー・ネームの「アンドリュー」からファースト・ネームの「シング」に変更になりました。
私も高松商だと思ってましたし、(高松商監督の)長尾さんとも付き合いが長いから複雑な部分もある。
「ありましたね~、そんな話。
「寮から遠く離れた実家に帰省していたときでした。 「ちゃんと準備できる期間があるっていうのはうらやましいですね。
甲子園の大観衆に『よく来てくれた』と言ってもらえた」 その年の冬に母校・高知高校の監督に就任したばかりの島田は、そう言って昔を懐かしむ。
寮生の多くは車で2~3時間もかかる自宅に帰省していた。
「高知大会決勝で右翼手として出場した上田勝選手(3年)が、家族に『自転車で日本一周してくる』と言い残し、家を出たまま連絡がとれない」 本紙をはじめ大手メディアもこのニュースを取り上げた。
甲子園球場では当然アンドリューになると思われますので、当ブログでは従来どおり「アンドリュー」で表記します。 =敬称略= 【明徳義塾「喫煙・暴力」で出場辞退】高知代表として出場予定だった明徳義塾は開幕2日前の2005年8月4日、不祥事により出場辞退を発表した。
11高知中では軟式野球部に所属。 不思議なもんで、何のわだかまりもなく仲良くなれた。
当時の二塁手・山本幸征が言う。
デマを流したのが誰かは知りませんが、おもしろいネタを作ってくれたなと」 幾多の混乱を乗り越え、甲子園に到着した高知高は初戦で関東の雄・日大三に完敗。
予期せぬ形で監督として初めての大舞台を経験した島田だが、あのときの経験が今の糧だという。