「音声は大学運営会議でのものと認められます」と認めたうえで、「『なくなるしかない』といった私の発言は、吉田病院の閉鎖等を望むことを意味するものではありません」「なくなるしかないのは、吉田病院ではなく、吉田病院の新型コロナウイルス感染症です」などとし、「不適切な発言であったと深く反省しています」とした。 「旭川厚生病院」では298人、「慶友会吉田病院」では212人に達するとみられる。
職の豊富な都心部ならいざ知らず、病院にしがみつくしかない人たちも多いと聞く。
古川院長はこうした事実を否定したが、結果として院長職を解かれたという。
2月1日に行われた学長選考会議は非公開で、内容はまったくわかりません。
学長の怒りを買った教授や病院関係者を何人も見てきました。
学長の振る舞いや決定に対して『それはおかしいのではないでしょうか』と意見しても、聞く耳をもたないばかりか、その発言者を追い詰めたりする。 このとき、医師に無断で本人の押印がなされ、そこに吉田学長の押印がされた有給申請書類が作成され、あたかも医師本人が有給申請しているかのように体裁を作っていた。
そのまま司会者もどこかに行ってしまい、20分が経過したころ、病院職員の女性が突然、『すいません生配信されている会社様がございましたら、止めていただけないかという指示がございまして……』などと言ってきたそうです。
「吉田学長に目を付けられて同大をクビになった医師は、少なくともほかに知っているだけで3名はいます。
テレビ局はみな露骨に不快感を示しました。
学長の「吉田病院がコロナをまき散らしている」との発言や、古川氏に「受け入れるならおまえが辞めろ」と迫ったことを受け、昨年12月に開かれた大学運営会議は「団結して信頼回復に取り組むことを確認した」が、大学側は古川氏が報道陣の取材に応じて混乱させたと追及。 これをきっかけに、組織のあり方が変わることを期待します」(阿部准教授) 学内の教職員に向けた「旭川医科大学の正常化を求める会」の趣意書。 署名とともに数百通の激励の手紙も届いているという。
10同大で不祥事が相次ぐことについて古川氏は「ガバナンス(組織の統治)がめちゃくちゃになっている」とし、07年から14年近くの長期にわたり吉田氏が学長を続けていることの影響は「それも一つだと思う」と語った。
これをきっかけに、組織のあり方が変わることを期待します」(阿部准教授) 活動の「趣意書」によると、求めているのは2点。
2020年11月に旭川市内で新型コロナのクラスターが発生した際、患者受け入れを打診された吉田晃敏学長は「ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅとコロナをまき散らして」と暴言を吐き、さらに古川博之病院長に対して「お前が辞めろ」とパワハラの疑いのある発言をし、これをきっかけに、学内の混乱が明るみになった。
発起人のなかに「眼科」関係者はいない。
一連の問題を話し合う第三者委員会を設置すべきだとの声も出たが、結論は出なかった。 2020年には学内の実験室における試薬廃棄作業中の爆発事故により、医師が著しい健康被害を被った。
10しかしその期待はみごとに裏切られました。 また、先の「週刊文春」による報道では「昼間から酒を飲んでいた」と思われる動画も公開されたが、実際、酒癖に関して苦言を呈する声も多く聞こえてくる。
2018年5月には、NTT東日本に依頼したシステム開発が失敗した責任をめぐり、同社との間で裁判になった(最終的に高裁判決で、旭川医大が約14億1500万円を支払うことが確定している。
日本遠隔医療学会のモバイル国際医療文化書い会長もしていて、オンライン診療などにも力を入れています。
明けて1月25日に、病院長だった古川氏を一方的に解任。
ーーーーー 発端は昨年12月に「週刊文春」(文藝春秋)が報じた、吉田学長の暴言だ。 しかし、昨年以降、コロナ患者への対応を巡って2人の意見はかみ合わなくなった。
14吉田晃敏学長の更なるご活躍を期待しております!. 旭川医科大学病院は、新型コロナウイルスの感染者の治療に当たっている旭川市内の5つある基幹病院の1つで、クラスターが発生した病院からの感染者の受け入れも行っています。
功績を挙げていたにもかかわらず病院を去ることになった医師は、眼科だけでも、この4年間で4人います」(病院に勤務していた医師) 吉田学長は14年にわたり大学に君臨し「王国」を築き上げてきた。
古川病院長に対し「受け入れるならおまえが辞めろ」などと言ったとされる。
吉田学長が作り上げてしまった組織の、異様な部分を正したい。
「お前が辞めろ」で国が調査に乗り出した コロナ禍に「日本最北の医療の砦」と呼ばれる旭川医科大が揺れている。
これについて先月、市内の5つの基幹病院で吉田病院の患者を受け入れる話し合いが行われた際、病院を運営する旭川医科大学・吉田晃敏学長が受け入れを唯一拒否。
その学会にいた医師たちはみな『あの人大丈夫?』と苦笑していました」 医療崩壊の今、「こんなことは恥ずかしい限り」 旭川医科大学は1973年、道北・道東の医療過疎解消を目的に設立された。
署名サイト「Change. なかなかすごい経歴ですね。
【旭川】新型コロナウイルス患者の受け入れなどを巡り、旭川医科大の吉田晃敏学長ら大学側と、同大病院長を解任された古川博之氏との対立が決定的となった。
6座長にたしなめられてもやめず、そのまま意味不明なことを喋り続けました。
この事態を受けて吉田学長は、病院幹部らとの会議で次のような暴言を吐いたという。
日本の医大では学閥が重視されているので、おそらく新設で地方の旭川医科大学には旧帝大から教授や学長が来ていたと思うので、権力を握る力や実績があったのだと思います。
父親は、NHKの取材に対し「母親がクラスターの発生した病院に勤務しているだけで、息子までが受診を拒まれるとは思っていなかった。
功績を挙げていたにもかかわらず病院を去ることになった医師は、眼科だけでも、この4年間で4人います」(病院に勤務していた医師) 吉田学長は14年にわたり大学に君臨し「王国」を築き上げてきた。 通常は 65 歳で教授職も定年になりますが、学長は現在 68 歳。
大学側に編集でもさせろというのか、ふざけるなと。
2月9日、発起人の教授たちの連名で発信された 活動の「趣意書」によると、求めているのは2点。
これがあるために今までも多くの方々が涙を飲んで辞めていったり、泣き寝入りしているのです」 こう語るのは、吉田晃敏旭川医科大学学長のリコールを求める全国有志の会事務局だ。