『 涅槃寂静 ねはんじゃくじょう :一切のとらわれやこだわりを離れた姿』を加えて 四法印 しほういん と呼び、これら 三法印・ 四法印は 仏教の根幹をなすものとされています。 今、この二者を知らんと欲せば、まず不覚作用につきて一言せざるべからず。
と説かれ、意味としては、 「及び広く十二因縁の法を説きたもう。
じゅんかん ・ ぎゃっかん 十二因縁の法則を、 人間の存在発生から死にいたるまでを、ものごとが縁により生じるものを順に観察したものを『順観』と呼んでいます。
【付記】九条兼実主催の百首歌。
左右回りに代うるに御傾き何遍と望むも、あえて効なきにあらず、かえって効あり。
七号の患者さんが……アレッ。 久安百首。
鍵穴だけがポツンと開いている 真鍮 ( しんちゅう )の金具に顔を近付けた。
【付記】『堀河百首』に「鹿」の題で詠んだ歌。
『和泉式部集』では結句「見せまほしけれ」。
敎へのまゝに翁に別れて、庭の柿の木の下にたゝずみて、三日伺ひ居て、窓の穴より家内に入り、竈 (かまど) の側 (そば) にまた三日をれるほど、母の何処ならむ遠き處へ別れ行き給はむことを、父と語らひ給ふ事を聞きたりき。
15曰く、狐狸もとよりかくのごとき作用を示すべき理なく、鬼神そのなにものたるいまだ知るべからざれば、これに帰するもまた、その原因を説明したりと称し難し。
私はガッカリして部屋の真中に引返して来た。
第三に、婦人はその手に油気を帯ぶるをもって、これまた粘着しやすき事情あり。
諸法無我 しょほうむが :本来、我 われ となる主体はない の 三法印 さんぽういん をお説きになりました。
また佛者にはやゝ其の旨を得たる説 (こと) どもゝ聞こゆれども、餘りにさだし過ぎて、なべて再生轉生する事のごとく云ふめり。
この十二因縁 じゅうにいんねん は、四諦・八正道 したい・はっしょうどう ・六波羅蜜 ろくはらみつ などとともに仏教教義の根本でありますが、四諦・八正道 したい・はっしょうどう を声聞界 しょうもんかい 、六波羅蜜 ろくはらみつ を菩薩界 ぼさつかい の衆生を対象に説法され、この十二因縁 じゅうにいんねん は縁覚界 えんがくかい の衆生を対象に説いたといわれています。
『山家集』も『山家心中集』も題詞を欠いた歌として雑の部に収めている。
(一〇) 痔疾 ( じしつ )を治する呪術 茗荷 ( みょうが )をとりて信心にいのり、一生茗荷を食すまじき 願 ( がん )をたつれば、奇妙にしるしあること神のごとし。
(詞書)この由を後白河院に奏上致しますと、畏れ多くも気の毒に思し召されて、今はもう還昇を御命令なさるべきとの御意向があって、院のお気持ちはお晴れになった由の返事を仰せ遣わせとご命令になったので、詠んで遣わした歌 (定長の歌)鶴が霞を分けて帰るように、子息はこの春殿上に帰るそうです。
……そ……それはドウして思い出すので……」 と私は一層 急 ( せ )き込みながら 口籠 ( くちごも )った。 けだし、少年のものと婦人とは、手に油気を帯びて、塵毛の粘着しやすきによること明らかなり。
これによりてこれをみるに、宇宙間には唯一の因果必然の規則あることを知らざるべからず。
【付記】漢籍の故事より発想し、月夜の浜辺を幻想する。
【他出】定家十体(有心様)、定家八代抄、題林愚抄、西行物語 【主な派生歌】 行く春のいはぬをしたふ人やあると色にやいづる山吹の花 恋 月 (六首) しらざりき雲居のよそに見し月のかげを袂にやどすべしとは (617) [千載875] 【通釈】 あの頃はまさか知らなかった。
……この気味の悪い紳士は一体、何の用事があって私の処へ来たのであろう……と、心の底で恐れ惑いながら……。 ……同時に世界中がシンカンとなって、私の睡眠がシックリと 濃 ( こま )やかになって行く…………。 以上が、私達人間の肉体を中心とした外縁起 がいえんぎ による十二因縁 じゅうにいんねん です。
14また、を始め待賢門院周辺の女房たちと親しく歌をやりとりしている。
『御裳濯河歌合』では「しらざりき雲居のよそに見し月を…」と番われ、俊成は「両首共に心ふかく姿をかし、よき持とすべし」と評した。
【他出】山家心中集、西行家集 【参考歌】「義孝集」「新古今集」 よそへつつ見れどつゆだになぐさまずいかにかすべき撫子の花 今ぞ知る思ひ出でよとちぎりしは忘れむとての情けなりけり (685) [新古1298] 【通釈】今になって分かった。
不完全な識 しき がだんだんかたちを整えてくると、4. 藤原北家魚名流と伝わる俵藤太 たわらのとうた 秀郷 ひでさと の末裔。
そうして私と壁 一重 ( ひとえ )を隔てた向うの部屋に 閉 ( と )じ 籠 ( こ )められたまま、ああして夜となく、昼となく、私を呼びかけているらしい。
現世のことは、ままよ、どうとでもなれ。
『山家集』には見えない歌。
一夜ばかりは、思はぬ夢を見るも常なるを、かく三夜つづけて同じ夢を見しは神の御誨 (みさと) しなりけり』とて、又さらに泣くをよくよく問へば、『さおとつ夜の夢にまた彼の山伏のごとき翁と、今一人枕上に來たりて、〈汝はむかし惡しき事をしたる男なり。
その正木先生の偉大な学説の原理を、その原理から生れて来た実験の効果を、御自身に証明されるであろうことを、正木先生は断々乎として言明しておられたので御座います。
「緒をよわみ乱れておつる玉とこそ涙も人の目には見ゆらめ」(和泉式部続集・新勅撰集、和泉式部)。
公任の家集では詞書が「大殿のまだ所々におはせし時、人々具して紅葉見にありき給ひしに嵯峨の滝殿にて」。
しかし若林博士は騒がなかった。
【他出】山家心中集、御裳濯河歌合、西行家集、定家八代抄、西行物語 弓はりの月にはづれて見しかげのやさしかりしはいつか忘れむ (620) 【通釈】弦月の光から外れて見たあの人の姿の優美だったことは、いつ忘れることがあろうか。
20久兵衛といふはいと若き程の名にて後に名を藤五郎と改めたりしが、十五年前に身まかりて、今は程窪に久兵衛と云ひし名を知りたる者もなし。
私は思わず笑いかけたが、その笑いは私の顔面筋肉に凍り付いたまま動かなくなった。
満腹したせいか、全身の力がグッタリと脱け落ちて、 掌 ( てのひら )と、足の裏がポカポカと温かくなって、頭の中がだんだんと薄暗いガラン洞になって行く……その中の遠く近くを、いろんな朝の物音が行きかい、飛び違っては消え失せて行く……そのカッタルサ……やる瀬なさ……。
七十歳になる文治三年 1187 、自歌合『御裳濯河歌合』を完成、判詞を年来の友に依頼し、伊勢内宮に奉納する。