同じ組の幹部(61)とともに命に別条はないという。
だが、その時すでに、尼崎市には、マシンガンなどで武装した元六代目山口組系組員が潜伏していたのである。
それでもやはり、粛清を実行したのは弘道会だった。
「目撃はない」 -被害者側の3台の車はどこに向かっていたのか。
一方、神戸山口組では17年4月に一部組長らが離脱して「任俠団体山口組」(後に「任侠山口組」に改称)の結成を表明した。 兵庫県警は週内にも、京都府警から男の身柄の移送を受けて殺人容疑で再逮捕する方針で、一連の目的を捜査する。
10一連の流れから見て、六代目山口組は分裂騒動に一気に決着をつける動きを見せているといってもいいだろう。 宅見は7発の銃弾を受け、でに緊急搬送されたが、約1時間後の午後4時32分に同病院で死亡した。
主なやりとりは次の通り。
立て続けで発砲事件が起きたために、県警では特別暴力団対策隊、俗にいう特暴隊を派遣し、容疑者特定と再発防止のため、周辺捜査や職務質問を徹底的に行っているようです」(実話誌記者) 地元市民によれば、発砲事件後、警察官やパトカーの数が目に見えて増加したという。
実際に職務質問にあった男性によれば、他府県ナンバーである自身の車を停車させていると、すぐに捜査員が近寄ってき、『このあたりで発砲事件があったことはご存知ですか』と尋ねられ、任意で協力を求められたといいます。
著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任侠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)など。 取り調べをかわす術も巧妙化した。
81997年に神戸市中央区のホテルで指定暴力団山口組の最高幹部だった宅見勝・宅見組組長と男性歯科医師が射殺された事件は28日、発生から20年を迎えた。
暴力団の常套(じょうとう)手段だ」(捜査関係者) 菱川容疑者は井上組長の警護を担当していたことから、山健組出身者が大半を占める任侠側にも「面が割れた存在」(暴力団関係者)だった。
撃たれたのは神戸山口組若頭補佐で三代目古川組の仲村石松組長と舎弟頭で、命に別状はなく、「面識のない2人組に撃たれた」と話していたそうです。
また山口組を引退した有力組長の出版した暴露本によれば、中野は自分を襲撃させたのは宅見自身であると憶測して激高しており、さらに当時の宅見は五代目山口組長・渡辺芳則の失脚を策動しており、そのことが渡辺の側近を自認する中野の憤激を招いたことが原因だとしている。
警察庁は28年3月、両組織が対立抗争状態にあると認定した。 となると、工藤會のようにトップが逮捕される事態も想定されます。
「警察当局も、何が起こるかわからない事態と考えてのことだろう。
六代目山口組と対立する、神戸山口組の古川恵一幹部が、兵庫県尼崎市の繁華街で銃殺されたのである。
脚注 [ ] 注釈 [ ]• 兵庫県警の調べに対し、山健組関係者は菱川容疑者について、井上組長が6月、兵庫県警や京都府警に詐欺容疑などで相次いで逮捕されて以降、「音信不通になっていた」と説明。
9月3日に流れ弾に当たった歯科医師の男性が死亡したため、渡辺は中野の処分を破門からさらに重いに変更した。 現場の路上からは実弾の空薬莢(やっきょう)15個程度が押収された。 対立は三つどもえの構図となったが、警察庁は「神戸山口組の内紛」との見方を示しており、構成員数は不明。
19「指揮命令に基づかずに行われたのは極めて不自然で、ありえない」。
11月27日夕方、尼崎の神田南通の路上で神戸山口組・古川恵一幹部(59)が6代目山口組系2代目竹中組元組員・朝比奈久徳(52)に自動小銃で連射され、即死同然に殺された。
2006年に死体で発見された実行犯の死亡の経緯についても記載されている。
筆者が五代目・渡辺組長のお姿を見たのは、これが最初で最後であった。
山口組といえば神戸が発祥の地である。 警察とマスコミが喜ぶだけなんですが、名門のメンツとして、それはしょうがないのでしょうね。
10犯人は古川幹部銃撃直後に車で逃走した。
揚げ句、3度も襲われ、最後には殺されてしまった。
事件翌日、の各紙は勿論のこと、各紙でも宅見射殺事件を一面で大きく報道した。
11月27日の射殺事件はにとって「出来過ぎ」ており、逆に「仕組まれた事件」という疑念が残ります。
いずれにしろ六代目山口組は、今後も離脱者の切り崩し工作と報復を強め、分裂した山口組の再統一を図るとみられていますから、まだ銃撃はありそうです。 通話履歴などから指示への関与も推認されたが、直接証拠を欠いたという。
報道などによりますと、事件は3日のお昼前、尼崎市内のコンビニ駐車場近くで起こりました。
朝比奈容疑者とみられる犯人は、銃撃後に現場から車で逃走。
ラジオ関西. 筆者が所属した組織の親分からであった。
その関連施設に全国から集結した親分衆の表情は、厳粛した空気の中にあっても柔らかく、滞りなく儀式が終わると、親分衆は開催場所となった名古屋を後にしたのだった。 それより私の胸裏にはあきらめにも似たどんよりした空気が広がっていた。 事件後 [ ] 宅見のは8月31日に執り行われた。
19銃撃事件発生後、数分後には筆者の携帯電話が鳴り響いていた。 また、古川幹部は昨年3月と今年7月にも現場近くで暴力団関係者らにバットなどで襲撃されていた。
2002年1月16日付で第2はもう1人の実行犯の上告を棄却し、刑が確定した。
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分裂からずっと神戸山口組は目立ったカエシ(報復)をしてこなかったのですが、など、だんだん「抗争激化か?」みたいな感じになってきている……のでしょうか。
この日も土曜日ということもあって、総本部内にはゆっくりとした時間が流れていた。
二代目時代の15年12月に六代目山口組が分裂して結成された「神戸山口組」に移籍、この時にもモメたようです。
朝比奈容疑者はもともと山口組傘下組織幹部だったが、山口組で取り扱いが禁じられている覚醒剤に手を染めたとして、平成30年12月に「破門処分」を受けたとされる。
「まずは脚を狙って動けなくする」とか「いちばん当たりやすい腹を狙う」とか、撃ち方(?)にもいろいろあるようですが、それはさておき、街中はまずかったですね。
15年暮れ、彼に会ったことがあるが、ちょっと頼りなく、ヤクザには珍しい善人性を感じた。